-3-

 真っ白な霧が立ちこめる丘の上の墓地は静かだ。
 ザキルカ・ラズリ=キリミネは右手に杖を、もう片方には黒い薔薇の花束を抱えて一歩一歩踏みしめ進んだ。
 ピーター・ポルラム博士の墓前には案の定、金髪の男の後ろ姿があった。あれが博士の父『ツカサ・アルジャン』か。
 博士と絶縁状態だった彼も人の親であったようだ。わざわざ海を渡り息子の葬式や墓参りに来ている――今更ではあるが。
 傲慢で威勢のよい大男と聞いていたが、墓前に立つツカサの後ろ姿はひどく弱々しく小さく見えた。
「ツカサさん!」
 ツカサはやってきた青年紳士を見るなり、中折れ帽を取って頭を下げた。
 ピーターの墓前に到着したザキルカは突っ立つツカサを尻目にして墓石にひざまずき、花束をそなえた。指を組む。白霧の中、柔らかなブルーベル色の髪がはらりと垂れた。
「あんたは今話題のザキルカだろう? ザキルカ・ラズリ=キリミネ」
 ぶしつけな口調に隣を見上げた。いぶかしげな視線と目がはちあい、無言で会釈をかわす。
 目の前の紳士がザキルカだと分かった途端、ツカサは取った中折れ帽を再びかぶって身分をわきまえるのをやめていた。墓前に横たわる花束を見る。
「その薔薇は『エリザベス』っていうんだろ。黒くて気味が悪い」
 吐き捨てられた言葉に青年は眉をよせた。
「カクタス民衆に希望を与えた薔薇ですよ。ポルラム博士は人類のために尽力してこられました。どうして分かってあげないんですか」
 口調を荒げると、ツカサは黙ってしゃがみこみザキルカに目の高さを合わせた。
 その時ザキルカはツカサの腕の中に一匹の犬がいることに気付いた。
 言葉を失う――。
「これでもあいつが正しいと言えるのか。お前ら研究者は間違ってないと言えるか」
 ツカサは犬の顔がよく見えるようザキルカの前に突きつけた。ザキルカは厳しい顔でそれを見つめた。
「若くてもあんたは所長だ。重い責任を知れ」
 垂れ耳のその犬の顔は腫瘍だらけで見るも無残なありさまだった。
「この犬の顔がこんなになったのはお前らのせいだ」
 犬の気持ちを代弁しているかのような声。ザキルカは唇を噛み、瑠璃の瞳を据えた。
「それは……」
 シルクハットを深くかぶり立ちあがる。
「それは犬ではありません」
 淡々としたザキルカの言葉にツカサは銀の瞳をぎらつかせてわなわなと震えた。
「なんだと? こいつはどうみても犬だろうが!」
「それはモンスターです。処分漏れです。ツカサさん、貴方に危害を加える危険性がある。それをよこしてください!」
 犬を奪おうとするザキルカと奪われまいとするツカサの必死の攻防戦がしばらく続いた。
 先に息が切れたのは日頃から坑夫として肉体を酷使しているツカサではない方、ザキルカだった。若い紳士は肩で息をしながら片眼鏡の位置を直した。
「この血も涙もない研究者め!」
「違います! け、研究者は……」
 ザキルカは杖をつき、荒い呼吸を整える。ツカサは一向に危害を加えそうにないモンスター犬を固く抱きしめた。
「研究者は人類の未来のために生きています。未来のために、多少の犠牲は仕方のないことなんです」
 深海の色をした眼がツカサの腕の中をとらえる。
「多少の犠牲だと? お前らがやっていることは動物虐待だろうが」
 青筋を立ててツカサは吼えた。ザキルカは首をふりそれを否定する。
「シルゾルトの霧を知っていますね、ツカサさん。ここの霧よりずっと汚れた霧です」
「それがどうした」
「シルゾルトは『キメラ』の代わりに蒸気機関で生きていく道を選びました。その結果があの黒い霧――スモッグです。それでも『キメラ』を避ける道に未来があるといえますか? 貴方は気管支炎の蔓延する街をどう思います?」
 年若い青年紳士はツカサを真っ直ぐに見つめて、身ぶり手ぶりを交えながら熱く語った。怖いもの知らずな荒削りの気迫にツカサはかえって平静を取り戻し大人しく聞いていた。
 繁栄の影には犠牲がある。ツカサたち社会的弱者にとってスモッグはザキルカ以上に身近な公害だった。
「確かにあれはだめだな。でも、だからって『キメラ』もだめだ」
「『キメラ』の方がいいんです。『キメラ』には蒸気機関と違って未来があるんです。大きな話になりますが、人類が神に滅ぼされないための道が『キメラ』による奴隷制度確立で……」
 ツカサはザキルカの長くなりそうな論説をさえぎるようにため息をついた。
「坊ちゃんはお偉いさんの模範みたいな言葉しか話さないな」
 ザキルカは口をとがらせて帽子のつばを少し上げた。
「ちゃんと最後まで聞いてくださいよ! 模範から逸れますから!」
「そうか? 俺は忙しいんだ。簡潔に述べてくれないか、坊ちゃん」
 ツカサは疲れたといったふうに首を鳴らした。
「分かりました。研究所は奴隷制度の確立を目指しています。それは具体的に言うと奴隷を不老不死にすることです。死なないからいくらでも働かせることができます」
「徹底した階級差別だな」
 労働者階級のツカサは皮肉っぽく一笑する。つられてザキルカも口角を上げた。
「……そうです。奴隷も人間ですから。それでは我々も良心が痛みます」
 少し間を開けて、ザキルカは再び言葉を紡ぎだす。
「だから『キメラ』を奴隷にすべきだと思うんです。ハン・ヘリオスのような」
 ツカサは顔をしかめ、眉間のしわを一層深くさせた。
「何を……言っているんだ、お前は……」
「貴方が今抱いているそれがモンスターであるように、ハンは人間ではありません。『キメラ』です。ただハンの場合は人間のように見えるから抵抗がありますよね。だからそれを、たとえば容貌を人間から遠ざけるなどの改良を加えればいいんです」
「想像以上だな」
 ツカサは目の前の研究者に苦笑いした。
「そうすれば世界から人間の犠牲が消えます。世界は平和になります」
「本気で言っているのか、お前は!」
 怒声が鈍器のように、ねめつける銀の瞳が刃のようにザキルカをおどした。しかし若い瞳は光を一層強くさせた。
「本気です。可愛い容姿に惑わされてはいけません。ポルラム博士はハンに情を移して自滅しました。ハンを愛らしく作ってしまったのが博士の最大の過ちです。博士や彼の周囲はハンによって狂わされました」
 腫瘍犬を抱いたままツカサは首をふって後ずさった。
「そのモンスターをよこしてください。ツカサさん!」
 ザキルカは退くツカサに杖を勢いよく振りかざした。
 黒檀に散りばめられたオニキスがきらめく。
「おわっ」
 一瞬ひるんだ腕の中から腫瘍犬は逃げ出した。ザキルカは杖の先を犬に向けた。
「貴方がどう思おうと我々研究者が正義です」
 空気が割れた。
 発砲音とともに杖先から硝煙が立ちのぼる。悲鳴のような犬の最期の鳴き声と、飛び散る真っ赤な液体――。
 ツカサは頬に付いた血を親指で拭って我に返った。ピーターの墓から三つ隣りまで吹っ飛ばされた犬に急いで駆け寄り、血まみれのそれを抱きかかえた。
 小さな弾丸は的確にこめかみを撃ちぬいていた。即死だ。
 ツカサはザキルカを見上げて睨んだ。
「そのモンスターを教会に持っていけば謝礼金がもらえますよ」
 凶器になった杖――仕込み銃――を片手にザキルカは歩みよる。
「狂ってる」
「俺もそう思います。犠牲を無くすための犠牲に我々はいつも心を痛めています。ポルラム博士もそうでした。だから――」
「息子もお前も正気の沙汰じゃない」
 垂れた一筋の前髪を横になでつける。真っ向から否定するツカサにザキルカは黒革の拳を握りしめた。
「だから犠牲を最小限に抑えるためにポルラム博士が必要なんです! だから俺は……」
「ピーター・ポルラムは死んだ! お前は頭がおかしい!」
「ツカサさん!」
 引きとめようと手を伸ばすも空しく、犬の亡骸を抱いたツカサは避けるようにその場をあとにした。
 ツカサの姿が消えると、ザキルカは墓周辺に散った血を見つめてまばたきをした。
「墓前を汚してすみませんでした、師匠」
 墓に向かってひざまずき、喪服の紳士はうなだれた。
「師匠、分かってもらえませんでした……」

 * * *

 何もかもを覆い隠す白い霧をハン・ヘリオス・ポルラムは不安げに見つめていた。
 ザキルカが帰ってこない。乗車前にあんなに急かした割には十分、二十分経っても帰ってこない。
 ツカサと何かあったのだろうか。あの恐怖を感じさせる銀眼、大柄で乱暴な坑夫――。温室育ちのザキルカが心配だ。
「ディクソンさん、わたしザックさんを見てくるわ」
「勝手な行動はおやめ下さい、ポルラム嬢!」
 ハンはザキルカの御者が止めるのをふり切って馬車から降りた。
 羽織った外套を固く閉めて白い息を吐く。霧はさらに深く濃くなっているようだ。

Return to Top ↑