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「ではまた伺います。失礼致しました」
 所長室から出てきた取引相手らしき男性は斜め四十五度の辞儀をした。男は書類鞄とシルクハット片手にこちらへ近づき、そのまますれ違っていった。足早に消えていく男を見届ける。
 ナール研究所の数少ない女性錬金術師エマ・ホールデンは、所長室のドアを手の甲で二度叩いた。
「ホールデンです。今よろしいですか?」
「ああ、ドリーか。どうぞ」
 一泊間を置いて返ってきた軽くそっけない声に、エマは不満をドアノブにぶつけるようにひねり中に踏み込んだ。
「あんたのせいで所の連中からドリードリー言われるんだわ! じろじろ見られるんだわ! 二十年“ホールデン”でここを通してきたのにどうしてくれるんですか? 所長!」
 壁に飾ってある歴代所長の肖像画群の前をずんずん通り過ぎる。マホガニーの書き物机の前でブーツの足を止め、ザキルカに人差し指を突きつけた。
 陽光がふんだんに差し込む大きな窓を背に、青年は頬杖を突きながらふざけるように笑った。
「えっ、貴女があの伝説の『ドクター・ドリー』だってこと、暗黙にばれてましたよ。二十年前は知らないけど十年前には普通に。今更なに言ってるんですかー、はは」
 反論を待たずにザキルカは書類に目を通す作業を再開した。
――自由すぎる!
 思わず眉間に寄ったしわを指で押さえる。若い感覚を取り入れるのは良いことだが、新しい所長の態度はあまりにも緩すぎた。
 これだから上流階級は嫌なのだ。親のコネで研究者になったような苦労知らずばっかりだ。その上、権力だけは無駄にあるから困るのだ。
「今、俺を呆れたように見てましたよね?」
 ふいにザキルカは顔を上げた。
「見ていません」
「ふぅん」
 特に視力を矯正するわけでもない度無しの片眼鏡をつけた今どきの若者は、エマがそこに居ないかのように再び書類に目を通しはじめた。
 静かになり、エマはここに来た理由を思い出した。
「所長、お聞きしたいことがあるのですが」
「何でしょう」
「マヌヴォー博士って、今どういった研究をされてます?」
「ああ」
 作業の手を止めてぼんやりと顔を上げ、ザキルカは分厚いファイルを取り出して調べ始めた。
 表紙に年寄りには理解できない派手な絵が描かれているけど、触れないでおこう。エマは唇の片端をわずかに上げた。
――また血圧が上がってしまう。
「マヌヴォー博士ですよね。マンドラゴラを研究してますね。二か月後の学会で発表する予定だそうです。それが何か?」
「いや、ねえ、マヌヴォー博士の部屋から人の叫び声が聞こえたから。そう、マンドラゴラ……男かしら、女かしら」
「たしか若い男性を一人仕入れたとか……ちょっと待ってくださいね」
 エマは息を止めた。若い男性――ハンから伝書鳩を通じて「マヌヴォー博士がカーグを殺したのではないか」との知らせがあったとき、あのマヌヴォーに限ってそれは有りえないと思っていたが、本当にそうなのだろうか。
「その男性の身元、分かる?」
 まだ結果が出ないうちに追加の質問をした。
「例のごとく十代半ばの少年ですね。被験体の提供は本土の孤児院から」
 エマは平静を取り繕いながら、内心胸を撫で下ろした。
「そう。ありがとうございます、所長」
「うん」
「では私はこれで」
 ザキルカが仕事に戻るのを見てエマはきびすを返した。
「待ってください。俺も話がありました」
「なによ」
 いきなり引きとめられ、ふり返って眼鏡ごしに張りつめた視線を送った。
 頬杖をつくザキルカは不敵な笑みを浮かべた。後光が眩しい。エマは色素の薄い瞳を細めた。
「後継者探しは順調ですか、ホールデン博士?」
「そりゃーもう候補が沢山いて選ぶのに迷っているとこだわさ」
 首元に纏わりつく白い垂髪をかきあげた。指に湿り気を感じる。
「俺も選んでいいですか? 貴女、ハン・ヘリオスに情を移してるから。カーグさんにも」
「やだ、移してないわよ。そう言うあんただって冷静に見られてないじゃない。――怖い顔」
 ザキルカはエマに向かって眉根を寄せた。
「周りが見えなくなる前に一歩引きなさい、ザキルカ。先輩部下からの忠告よ」
 黙りこむ所長を見下ろして笑むと、素早く所長室をあとにした。
 一刻も早く後継者を見つけなければならない。
 焦燥感に駆られてエマは足を速めた。

 * * *

 ポルラム邸の家政婦ダルトワの横に座るハンは大変な事態に直面していた。机の向こうにはほうきを持たない家女中たちがわらわら詰めかけていた。
「この件に関してどう思います、ハンさま」
 ダルトワは眼鏡のブリッジを節ばった指で押しあげて問うた。
 いつも子ども扱いするくせに、こんなときばかり責任を押しつけないでほしい。小さな女主人は口をとがらせた。
 家女中はハンがもっとも苦手とする集団だが、ここで折れるわけにはいかない。息を吸い、ハンは血の気が多い彼女たちに再びなだめながらの説得を試みる。
「兄は必ず帰ってきます……くると思います。だから、思いとどまってください……」
「いやです。あたしたち今までカーグさまが居るから辞めなかっただけですから! 旦那さまがお亡くなりになる前からですから!」
 午後の綺麗な制服を着た家女中の一人が使用人にあるまじき凄みで言い放った。普通の屋敷ならば上司や雇用者に盾突く使用人など即解雇されるのだが、ここは使用人が日々離れていくポルラム邸だった。
「ダ、ダルトワさん……どうしよう……」
 家女中の上司ダルトワは小さな女主人を一瞥すると、自らの責務をまっとうすべく部下たちにもう一度向き直った。
「貴方たち、働く動機が不純なことには目をつむります。もう一度考え直して。せめて新しい子が五人見つかるまで」
 十人ほどの家女中たちはひそひそ相談をはじめた。――この女たち、束になると怖すぎる。ハンは震えていた。
 皆でうなづきあったあと、代表は取引の結論を述べた。
「分かりました! 一か月だけ待ちます、カーグさまを。そのあいだに帰ってこなかったらみんなでやめます」
 家女中たちの群れが部屋から去ると、ハンは安堵の息をつき、ダルトワは額のしわをさらに深くさせた。
「カーグさまに恋愛感情を抱きながら働いていたとは、あの小娘たち実に嘆かわしいです」
 ため息をつく家政婦ダルトワの横で、ハンは黙ってうつむき足をぶらぶらとさせた。
「まさか、お嬢さま、知っていらしたのですか? ファンクラブの実態を」
「知って……いました」
 後ろめたく顔を背けるハンに、ダルトワはさらに深いため息を吐き切った。
「カーグさまが主人になりましたら、求人広告にカーグさまのお写真を載せたら良いと思います」
「そんな、投げやりに言わないで! ダルトワさん」
 連日辞めていく屋内使用人。疲れきった家政婦。ポルラム邸は衰退の兆しを見せていた。

 ハンはペガーズに乗ってポルラムの敷地を毎日駆けた。森の中のぬかるんだ獣道を歩き、氷の張った湖面をときに見つめた。
 結局今日もカーグは見つからなくて、代わりにカーグと遊んだドングリを見つけたので拾って帰ることにした。
 冬が迫るこの時期の夜は早い。あたりはすっかり薄暗くなっていた。
 ハンは鞭をふるいペガーズの翼を羽ばたかせた。
 見つかってほしいと願う自分と、もう見つからないと諦めている自分がいる。諦めてしまってはいけないのに。
 芯から冷える風にか細いお下げ髪はなびいた。
 赤い屋根のポルラム邸をめがけていつものように舞い降りる。今日も成果はなかった……ハンがため息をついたそのときだった。
 視界を一羽の伝書鳩が横切り、ハンの部屋の開けっ放しの窓に入っていった。
 エマ先生とカーグの生家に送った鳩。そのどちらかの返事に希望は、手がかりはあるのだろうか。
 エマ先生に人体実験の可能性をたずねた、その返事はどうだろう。自分はカーグに……会えるのだろうか。
 レンガ造りの厩舎にペガーズを預けて、ハンは正面玄関に駆けていった。
 急いで部屋に入る。伝書鳩を片腕に止まらせて、暖炉に火を入れた。サラマンダー・ランプをつけてソファーに腰かける。
 手紙を取ろうと鳩を仰向けにして抱きかかえたハンは目を丸くした。
――ちがう。
「マルキ!」
 てっきりエマからの返事だと思っていた。ツカサに「手紙不要」通告を受けていたからだ。
 マルキはツカサのところに送った伝書鳩だった。エマより早く返ってくるとは思わなかった。
 前足の小筒から手紙を取り出す。筒いっぱいに詰めたらしく、出しにくい。
 長い手紙のようだ。
 ハンは胸をざわめかせた。
――わたしを責める内容かもしれない。わたしがカーグをポルラム邸から追いだしてしまったから。
 ツカサとは限らない。ツカサの家族かもしれない。カーグは実家の家族に愛されていて、こんな薄気味悪い屋敷から帰ってくるようにずっと言われていたから。
――すべてわたしのせいだわ。
 つのる罪悪感に手紙を読むことがなかなかできないでいた。しかし読まなくては。それがカーグを失踪させてしまった自分の責任だから。
 恐る恐るきつく巻かれた紙を伸ばしていった。
 文字を読むのは一瞬で済んだ。細長い紙が絨毯に丸まって落ちる。ハンは黄色い瞳を見開き口もとを押さえた。

『早く追いかけろ! 馬鹿野郎!』

 落ちた手紙を拾い上げた。
 それは短く単純な言葉であったが、ハンの心を思いきり揺さぶる内容であった。
 書き間違え訂正の線が引かれたあとで大きな文字で力強く書かれている。ところどころ筆圧で破れていて、インクをこぼした跡もみられた。
 熱くなった目頭から涙がこぼれた。
 カーグはツカサの大事な大事な孫だ。それだけだ。そしてカーグは自分にも大事な大事な兄だった。
 ハンは部屋を飛び出した。

 * * *

 エマは錬金炉の扉を閉めると、袴の紐に吊っている使いこまれた懐中時計を手に取った。
「あと四十五分ってとこかしら」
 炉に背を向け大きく伸びをしながら研究室を出た。束の間の休憩時間である。
「さーさ、夕食がてらパブで新聞でも読もうかしらねー」
 地下一階から灰色の階段をのぼり終え、窓の外がすっかり暗いことに気付く。
 外灯の光を頼りに中庭を歩いていると、背後から鉄扉の開く音がした。
「ホールデン博士!」
 ふり返ると若さだけが取り柄のような貫録ない研究員が、正門の方向を指差した。普段この時間番犬セルベルの鳴き声しかしない前庭ががやがやとしている。
「ん? 誰か来たの?」
「ポルラム邸の『エリクシール』が貴方を呼んでます」
「ハンナ?」
 急いでその方へ出てみると正面玄関の前にペガーズ馬車が停まっていて、そこにボンネット帽をかぶったハンが立っていた。
 エマがやってきたことに気付くなり、少女は逼迫した表情で叫んだ。
「先生。わたし街へ行きたいの!」
 『エリクシール』のハンは街へ行くことが許されない身分だ。だが街へ行かなくても彼女の使用人が何でも買ってきてくれるし、不自由はしていないはずだった。
「街へ行ってカーグを探したいのおねがい!」
 ハンはもう一度ひと息に叫んだ。
「いいわよ」
 周りの研究員たちが絶対反対の空気を醸し出す中、エマはいとも簡単に承諾した。
 反対されるだろうと思っていたらしいハンも闇夜に淡く光る月の瞳をぱちくりとさせた。
「明日行くわよ。所長は明日も出張だし、明日は総督の生誕祭でしょ!」
「そうだったわ。明日はカーグの誕生日だったわ」
 ハンが口にした情報にエマが興味無さそうに答えると、少女はむすっと頬を膨らませた。
「ホールデン博士。今年の生誕祭はシルゾルト公爵とそのご家族が出席するので、要人取材陣と人が多いですよ。『エリクシール』が怪我でもしたら……」
「だからこそよ。ハンナは救貧院や男娼館に行きたいのよね」
 口をはさむ研究員の一人にエマは自信たっぷりに答えた。ハンはどういうわけか両手で顔を覆っていた。
 寸足らずな指の隙間から黄色の目が覗いた。
「街に行ってもよいの? 先生」
「ええ。その代わり条件があるわ」
 エマは周囲で自分たちを見つめる研究員たちを見回した。
「私が責任者として同伴する。変装していけば問題ないわよね? あんたたち?」
 白衣の男たちは固唾を飲みこみ、ハンを街に行かせるという前代未聞の事件に顔を見合わせたのち、一人また一人とうなづき始めた。
「何かあったら私を煮るなり焼くなり……まあ容赦なくやるか、あの所長なら」
 小憎たらしい片眼鏡の青年を思い浮かべてエマはひとりごちた。
 まだハンはここへ来て笑顔を見せていない。不安げに瞳を揺らしている。
 エマは突っ立つハンの肩をつかみ、彼女の馬車に向かった。
「せ、先生?」
「今から準備よ、ハンナ。御者。ポルラム邸まで」
 箱馬車の座席にハンを置いて自分も座ると御者はドアを閉めた。
「あ、そうだ。あんた。きて」
「わた、私でしょうか」
「そうよ。あんたよ」
 エマは近くにいた白衣の男を手招きで呼び寄せると胸の谷間から鍵を出して耳打ちした。
「私の部屋の炉の中にやりかけの鶏入ってるから何とかしといて。悪いこと考えたら魔女がお仕置きするわよ」
 男は鍵を手に赤いような青いような顔でうなづく。薄明かりにウインクが飛んだ。
 シルクハットの御者がペガーズに鞭をうち、エマとハンを載せた馬車は夜空を全速力で飛んだ。
 緊張しているのか、ハンは車中ずっとおとなしかった。

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