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 近衛兵が作る分厚い壁のどこからかラッパの音が鳴り響いた。正面の近衛兵が足並み揃えて銃を上げ下げする。
 いよいよ祝賀パレードの主役、カオル・アルジャン=ブリンガル総督のお出ましだ。見物客の紳士淑女らはパレードが見える隙間を鉄壁から探した。
 手旗を振りまわすパシャはすごく楽しそうだ。ポルラム邸に住み込みで働く彼やカバネルにとって、パレードは大きな息抜きであろう。エマ先生だって今ごろ窓ガラスにオペラグラスをくっつけているに違いない。周りに負けじとハンも手旗を振りまわした。
 先導の騎馬隊が列を作って通りを駆けぬけていった。
 その馬の脚の数を見逃さなかったハンは目を丸くした。
「八本あったわよ。新種の『キメラ』かしら。さすがブリンガル公国のパレードだわ」
 今まで写真や絵はがきでしか知らなかったパレードを肉眼で見られることに、素直に喜びを感じた。
 先導が走り終えると、厳重な警備に囲まれた総督夫妻の無蓋馬車が見えてきた。夫妻はにこやかに微笑みながら左右に手を振っている。
「時代がシルゾルトに流れていくから必死だろうな、カオルさま」
 沸く歓声のなか、そんな声が聞こえてきた。
 ザキルカより売れないカオルの肖像写真を思い出す。そのことを考えると、カオルを応援せずにはいられなかった。
「カオルさま、がんばって! ペガーズが飛べるお空を守って!」
 叫びながら、ハンはナールの乙女たちの憧れであり続けるカオル総督の実物を初めてはっきりと目にした。
 たいしたことはなかった。
 高貴な血筋の人間は庶民とは違う身体構造をしているように思っていたが、そうでもない。長身といい、髪質といい、美しい顔といい、ピーター・ポルラムの若いころみたいだった。
 カオルとピーター、同じような容姿なのにどうしてこんなにも人生が違うのだろう。
 身分とは残酷なものだ。カオルは幸せな家庭を築いているのに、ピーターは不幸な家庭を築いた。なにが違ったのだろう。
――どうして生まれによって幸、不幸が決まってしまうの。
 カーグが感じていた憤りはハンの憤りになっていた。
「努力して努力して……ポルラム邸にふさわしい紳士淑女になるんです……」
 いつもカーグが言っていた言葉だ。
 努力すれば報われると信じているカーグ。なんて馬鹿なカーグ。
 でも自分も信じたい。支えたい。身分の壁を超えようだなんて馬鹿らしいところが逆に素敵なんだ。
「わたし、カーグと結婚する! 総督に負けない幸せな家庭を築くわ!」
 去りゆくカオルの後ろ姿に身を乗り出して大声で叫んだ。
 周囲が一斉にこちらを見たけれど、ハンは気にしなかった。

 汽笛が鳴った。
 天使のように可愛らしい幼子は蒸気船で海を渡る。
 青い空に青い海はどこまでも広がる未来のようだった。
 まだ見ぬ新天地ナールではどんな生活が待っているのだろう。
 遠くなっていく故郷を見ながら幼子は心細くて泣いただろう。
 大きすぎるポルラム邸に寂しさを感じただろう。
 そして幼子は残酷な大人の手に堕ちてしまった。
 しかし幼子は屈しなかった。
 だれよりも強く生きてきたのだ。
 だれよりも強く、その瞳に光を宿して。

 * * *

 汽笛が鳴った。
 ザキルカ・ラズリ=キリミネは鏡に向かって蝶ネクタイを直していた。
「坊っちゃん」
 つり目の男従者は後ろ手でドアを閉めた。
「なんだ。今、先方を待たせてるんだ。急いで用件を」
 従者は目を細めて声を忍ばせた。
「カーグ・ソーンが失踪したそうですよ」
 横目で従者を見た。
 長い前髪をなでつけてから、もう一度見た。聞いた声を反芻する。
 彼の発した言葉はとんでもない内容を含んでいた。
「忙しいんだ。冗談なら承知しないぞ。――本当か?」
「まことでございます。ポルラム博士が亡くなられたあと、屋敷を出たきりずっと帰っていないようです」
 従者は意味のある微笑をたえて、ささやくように言った。
「そうか」
 燕尾服の前身頃をぴんと張って、主人は鏡を離れた。ドアを開く従者の前を通りすぎて廊下に出る。
 早足で歩きながらザキルカは前を睨んだ。
「始末しろ。二度とハン・ヘリオスの前に現れないように。今なら人権の無い浮浪者――殺しても構わない」
「承知いたしました」
 従順な犬は踵を返して音を立てずに消えていった。
 両側に立つ膝丈ズボンの従僕によって開かれた扉をくぐり、シャンデリアの下ザキルカは笑みを浮かべた。
「ザキルカくん、こっちだ」
 シルゾルト公爵の次男ベンジャミンがシャンパングラスを片手に手招きした。
 褐色肌の公爵一家が向かいのソファーでくつろいでいる。ザキルカはうやうやしく会釈して駆け寄った。
 血気盛んな顔立ちの公爵と握手を交わしていると、横から長男のパトリックがやってきた。
「助けてください、お父さま」
「なんだ、パトリック。これから所長と熱く語りあおうとしているのに」
 どかりと腰を下ろした公爵は葉巻きタバコをくわえた。眉をひそめ息子を見る。後ろには彼の妹のピクネシアがくっついていた。
「ピクネが離れないんだ」
「お父さま! あたくしも政治のお話がしたいですわ!」
 またか、というように公爵はため息のような煙を吐いた。一国の主に父親の顔が垣間見える。
「ピクネシア。お母さまのところへいってお茶でもしていなさい」
「いやですわ! あたくしもお兄さまとお話がしたいですわ!」
 甲高い声をあげ、ピクネシアは兄の後ろにしっかりとしがみついた。
「お話って、子どもに分かるのかい? スカートの裾がやっと床に届いたばかりのお前が」
 女公爵が治めるレッガスならともかく、ここは男政治のシルゾルトである。公爵と彼の後継ぎは遠回しに「政治に女は要らない」と言っているのだ。意味の分かるザキルカはただただ頷いていた。
「子ども扱いしないでくださいますか。あたくし、もう十六ですわ」
「そうだね、ピクネ。お嫁にいける歳だね」
 ピクネシアが父と一番上の兄に拗ねていると、もう一人の兄が彼女の肩を叩きながら言った。
「ベンお兄さま?」
「ということでザキルカくん。しばらくピクネをナール観光に連れてやってくれないか」
「えっ」
 頷きつづけていたザキルカは突然の指名に顔から笑みを消した。慌てて作りなおす。
 ピクネシアと目が合った。公爵一家は奥方の夫人から長男の婚約者まで、顔と名前は把握しているつもりだった。しかし、褐色肌に子犬のように黒々とした瞳がよく動くこの少女のことは失念していた。
 政治談議にいきごんで臨んだつもりがまるで子守みたいなことをおしつけられ、ザキルカは少々気がひけたが受けいれるしかなかった。
「ナール研究所所長のザキルカ・ラズリ=キリミネと申します。よろしければご案内いたしますよ、ピクネシアさま」
 北世界で一番豪華であろうドレスに身を包んだ姫君にザキルカは揃えた指を差し出した。
「そうですわね、観光……。あたくし、蒸気船ル・プリュ・ヴィットゥ・クジラ号が見てみたいですわ」
 船の名称をたどたどしく発音して、ピクネシアは絹の小さな手を白革の手に重ねた。
「ル・プリュ・ヴィットゥ・クジラ号――ブリンガルとナールを行き来している船ですね」
「ええ。ル・プルュ……。それですわ」
 途中でつっかえて口もとを押さえる公爵令嬢に噴き出しそうになったが、なんとか堪えた。
「クジラ号、港が近くにありますよ。さっき汽笛が聞こえたな。早く行きましょうか」
 ザキルカは長ったらしい装飾語を払拭して船名を短縮し、相手を気遣った。小さいが大事な賓客の娘である。
 ピクネシアは瞳を輝かせて頷いた。その様子はどこかハンを思わせて憎めない。
「しかし不思議です。なぜ北世界一の造船所の娘さんが古い型のクジラ号に興味を示すのか」
「あら、新しい蒸気船が必ずしも優れているとはかぎりませんわ。あたくしにはスレイプニルはペガーズより醜く映りましてよ」
 スレイプニルとは今日の祝賀パレードでナール総督ブリンガル伯爵の馬車をひいた八本脚の馬だ。ブリンガル公国が誇る最新技術の悪口を言うとは大した小娘である。
 政治に意味をなさない女こどもだと小馬鹿にしていたが、見かたが変わった。
 目の前にいるのはナールの運命を揺るがしかねない“公爵”令嬢なのだ。

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