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 きっと「おかしくなった」と思っているのだろう。カーグはなだめるようにゆっくりと話しはじめた。
「ハンナ、叔父はたしかに死にましたよ。僕は叔父の棺のなかに本と写真を入れました。そのとき彼は安らかに眠っていましたよ」
「そのときとはいつのこと? お葬式?」
「はい。お葬式で」
「そう」
 目をつむり、ハンは墓前でザキルカが言った言葉を反芻する。
――とても嘘をついているようには見えなかった。
「カーグ。ポルラム博士は脳死だったの。知らない?」
 顔を上げてエメラルドの瞳にうったえかけた。
「それ……」
 とたんにカーグの顔色が変わった。ハンを目の前に置いて、彼はこわばった表情を見せた。
「どこで知ったんですか?」
 “脳死”に対する大げさな反応に、小首をかしげた。カーグは阿片窟のほかにまだなにか隠している。
「ザックさんから聞いたのよ。それがどうかしたの?」
「そうですか……」
「もしかして、知っているの? 『安全ひつぎ』のことを」
 口もとに手をそえて考えはじめたので、首をすくめながらたずねてみる。
「『“脳死状態”のピーターが「安全棺」に入っている』ってザキルカさんが言ったんですか?」
 カーグは眉根を寄せながらも、理性的な口調で聞き返した。
「ええ」
 枕もとに長い竹の煙管を見つけ、手に取って眺めていたらカーグに取りあげられた。
「その言葉通りなら叔父は死んでいます。脳死から一か月――ありえません」
 しばらく煙管を蔑視したのち、口角をわずかに上げて彼はさとした。
「でも! 最新式の『安全ひつぎ』だと言っていたわ! 暖と空気と水と食料があるのよ」
 絹布団に手をついて叫ぶと、カーグはくすりとふきだした。それまでの深刻な表情がうそのように消えている。
 カーグは片手で煙管をもてあそびながら、ハンの頭をなでた。
「脳だけの死だったとしても、放置すればすぐ完全死するんです。あなたはザキルカさんにだまされていたんですよ」
 指を軸に水平に回る竹煙管を見ながら、ハンは素直にうなづいた。「そうでしょう」と言わんばかりにカーグは微笑んだ。とても安心する笑みだ。
 ハンは下を向き、刺繍布団の小鳥に指を滑らせて止めた。まばたきを数回する。
「なぜ――あなたはパパが“脳死”したことを知っていたの?」
 煙管を回す手を止めてカーグは笑みを消した。しばし沈黙する。ハンは兄の顔を下から覗きこんだ。
「信じてくれますか? 僕が殺したんじゃありません」
「どういうこと? パパは事故死ではないの? 水銀中毒死でしょう?」
 黒い背広の襟をつかんで何度もひっぱった。しかし兄は首を横に振った。
「他殺なんです」
 妹は青くなる。
「カーグが殺したなんて……」
「殺してませんってば! 僕は……見てしまったんです。叔父の殺害現場を」
 ピーター・ポルラムが死んだときを語りはじめたカーグ――をハンは押し倒した。
 バーミリオンの絹布団に黒い背広が崩れて、銀糸は乱された。彼の体温と高鳴る鼓動を感じてハンは我に返った。エメラルドの瞳がこちらをまっすぐに見ている。顔が近い。
 恥ずかしさに沸騰しそうだ。
「ごごごめんなさいっ!」
 瞬時に逃げて、四角い幾何学模様が彫りこまれたマントルピースに身を隠し、うずくまった。そろりと顔を出すと、カーグの顔が間近にあってハンは短い悲鳴をあげた。
 カーグは彼の顔がまともに見れないハンの手をとって起こした。
「暖炉の火、つけましょうか」
「いえ! このほうが頭が冷えてよいのよ!」
 乙女心の深読みが出来ない兄は小首をかしげた。
「ただでさえ阿片のにおいで頭がおかしくなりそうなのに」
「それは、気付かなかったな。場所を変えましょうか」
 顔を両手で覆い隠したままハンはうなづいた。

 侍女が部屋を出ていくと、ハンは甘いミルクティーの香りをかいだ。
 明るい小花柄の壁紙に犬や猫の鳴き声が賑やかだ。
「やっぱり僕の部屋のほうが殺風景でよかったんじゃないかな」
――僕の部屋……!
 このまま紅茶を口にふくむのは危険だ。無意識に大胆な発言をする異性のせいで噴き出してしまう恐れがあった。ハンはいったんティーカップをソーサーに置いた。
「それでカーグ。お話の続きよ。パパが“他殺”だということは、『ユリエちゃんが後頭部にビスクドールをぶつけられて死んでしまった』ということかしら」
「それとこれとは別です! ……切り離してください」
 瞬間、背もたれに身をひいた。強い目をして、カーグが拳をテーブルクロスに押しつけたからだ。彼のティーカップの中身が静かな波を立てていた。
「お、おなじよ。あなたはパパを殺していないのでしょう、信じるわ。だからパパの死因について追求するのはよしましょう。ユリエちゃんとおなじ、“事故死”でよいじゃない」
 紅茶を静かにすすって気持ちを落ち着けた。受け皿に置く。
 見るとカーグも同じことをしていた。彼は黒革の指を組んだ。
「そんなわけにはいきません。犯人は僕を殺そうとしました。いえ、罪をなすりつけようとしたのです。それで終わったのなら――どうせ訴えたところで揉み消されるのがおちです――忘れようと思っていました」
 カーグは組んだ指をきつくしめた。
「でも、彼はあなたに『ピーターは生きている』と言いました。つまり、彼のピーター殺害をふくむ何らかの企みは終わっていないんです!」
 墓参りの日、馬車で目にしたあの無慈悲な沈黙と強い怨念があざやかによみがえる。両耳をふさぎ、ハンは首をゆさぶった。
「しんじたくない!」
 駆け寄ってカーグが上から抱きしめた。
「つらいでしょうけれど、受けいれるんです! ハンナ、本当のことを」
 丸テーブルの向かいに腰を下ろすと、今度こそカーグは話しはじめた――。

 あの日――十月の――日付が二十四日になったばかりの真夜中のことでした。叔父は例の錬丹術開発をザキルカさんと一緒に手伝っていました。
 叔父は深夜十二時に仕事を終えることになっていて、時間になるといつもザキルカさんが寝室まで連れていきました。ですから、僕はその日も寝室で待っていたんです。
 しかし、時間になっても叔父は来ないんです。幻覚症状がひどいために遅れるなんてことはよくあったので、そのために遅れているのだと思っていました。
 けれど一時間たっても来ないので、僕は寝間着にガウンをはおって廊下に出ていきました。ろうそくを片手に。
 そして、研究室のドアの前に膝を立ててすわっているザキルカさんを見つけたのです。彼は足音で僕がやってきたことに気づきました。
「ああ、カーグさんか。びっくりした」
 まだ座ったままでいるので、僕は言いました。
「叔父さんがなかなか帰ってこないからようすを見にきたんです。叔父は僕がいないと眠れないから」
 いま思うと一言よけいだったと思います。ザキルカさんはあからさまに歯ぎしりして愛人の僕をにらんでいました。でも、しぶしぶドアを開けてくれて。
 中に入るとつんとした臭いが鼻にきて僕は咳きこみました。叔父は机で眠っているようでした。
 あとから知ったことですが、そのとき室内には気化した辰砂――水銀――が充満していたそうです。
 僕は例のごとく、幼い子どもに話しかけるように優しく、叔父を起こそうとしました。
「おじさん。はやくお部屋に帰ろう? だめだよ、こんなところで眠っちゃ……」
 叔父は気を失っていました。
 急いでそばの加熱器具の火を消して、窓を探しました。窓が固くて開かなかったので、なにかをぶつけて割りました。それでも部屋の空気は悪いままです。
 とにかく部屋を出ないと死んでしまいます。僕は意識のない叔父ごと車椅子をおして、ドアを叩きました。
 でも……外から鍵がかけられていたんです。
「開けてください、ザキルカさん! 苦しい! 苦しい!」
 必死にドアを叩き、叫んだけれど決して開けてはくれなかった。
 僕は叔父ごと毒蒸気の中に閉じこめられてしまったのです――ザキルカさんに。

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