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「やがて僕は意識を失いました。そしてあなたもご存知のとおり、叔父が死んだ十月二十四日から僕は計六日間“風邪”で自室に閉じこめられていました」
 ときどき言葉を詰まらせうつむきながらも、カーグはここまで話してハンをしっかりと見つめた。
「そんな……知らなかった……」
 ハンはカーグの顔をまともに見られなかった。通夜を欠席したカーグは死の淵をさまよっていたのだ――水銀中毒で。
「あのときお医者さまはあなたが高熱で危ない状態だとおっしゃって、ずっと部屋に入れてくれなかったわ。どうしてザックさんは……信じられないわ。閉じこめ……どうして!」
「ハンナ、おちついて」
 頭をおさえて取り乱すハンに、カーグは駆け寄る。抱きしめるが、彼女はしばらく虚ろな目と悲痛な表情をくり返した。
 何度も何度も呼吸して、ようやく頭の中が整理できた。
 ハンは背後から回された腕に強くすがった。けれども震えが止まらない。
「ハンナ……つらいでしょうけど最後まで聞いてください」
「ええ、話して」
「あのときの医者はザキルカさんに買収されていました。僕は医者にザキルカさんのことを口止めされました。そして葬儀はザキルカさん主催でした。おそらくは埋葬も……。牧師や墓守も買収されている可能性があります」
「どうしてそれをわたしにかくしていたの?」
 振り向いて彼を見上げる勇気がなかった。
「すでに……証拠はきれいに消されていました。だから、僕は黙秘することにしたのです。それに、きみに話したところでどうなるっていうんですか」
「あなたらしくないわ。どうにもならないことをなんとかしましょうよ!」
 振り返ってハンは叫んだ。
 カーグはいつだって諦めないし逃げもしない。努力で運命は切り開けると信じている。泣き寝入りするつもりは一切ないのだ。
 ポルラム邸から追い出されたのに……帰ってきたではないか。
「そう思うのでしたら、ポルラム邸の女主人になってください。あなたはピーター・ポルラムとは赤の他人かもしれないけれど、養子です」
「わたしはカーグにポルラム邸を継いでもらいたいのよ!」
 首を振ってハンは席を立った。ひざをついているカーグを尻目に丸テーブルのへりを進み、向かいのカーグが座っていた席に座った。
 そして、ティースタンドに載ったカヌレをフォークで突き刺して行儀悪くかじった。
「わたしよりあなたのほうがあるじにふさわしいわ」
 わざと口に物を入れたまま喋ってみせる。
 しかし、カーグは注意しなかった。ハンの席で彼女が飲みかけた紅茶を眺めている。
「僕は……口減らしのために父親に売られ、叔父に買われた奴隷です……。ザキルカさんと戦えません」
 顔を上げたカーグは静かに歯をかんでいた。
「それに女主人という身分はあなたを守ってくれるでしょう。そして、権力ある男性と結婚するのが一番いいんです。でも……」
「でも?」
「どうしてこうなるんだろう。僕はそれを望んでいないのに」
 不安定な声音とともにカーグは頭をかかえこんだ。
「ねえ、カーグ。ザックさんはわたしたちをそうやって苦しめているのではないかしら。パパとあなたとわたしをぐちゃぐちゃにして。でも、なぜザックさんがそんなことするのか分からないの」
「僕も分かりません。ザキルカさんの意図が分かりません」
 まぶたを閉じてハンは考えた。どうして私たちは苦しんでいるのだろう。どうすればふたりは幸せになれるのだろう。
 ザキルカは、ピーター・ポルラムが生きていると言った。
 カーグは、ピーター・ポルラムが死んでいると――
「カーグ。あなたはパパの死を本当に確認したの? お葬式のとき」
「――いいえ。洗礼を受けていない僕には棺に近づく権利がありませんでした。遺体はツカサさまが確認したんです」
「それでは……」
 ハンは口もとをおさえて椅子から立った。
「パパは……生きている?」
「まさか」
 カーグは笑わなかった。彼も同じことを考えているのだ。
――生きているのか死んでいるのか分からない!
 ザキルカはカーグに「ピーターは死んでいる」と思わせ、ハンには「生きている」と言った。それは確かに兄妹を苦しめている。何らかの企みを持っている。
「わたし、お墓を掘るわ!」
 立ち上がってハンは両のこぶしを握りしめた。すぐにカーグの声が飛んでくる。
「いけません! 気持ちは分かりますけれど。そんなことをすれば神の裁きが下りますよ……本当の“化け物”になってしまう……」
 徐々にうつむき、そのままカーグは動かなくなった。ハンはそろそろと歩み寄る。
「カーグ」
 ひざの上に置かれたカーグの握りこぶしを両手で包んだ。
「わたしはもう裁きをうけているのよ。わたしのからだの成長が止まったのは――パパは言ったわ。
 『ハンナ。お前は研究者の希望ではなく、あやまちだ。お前の存在自体が、私の人生最大の罪なのだ』と」
 眉根をよせてカーグは首を横にゆさぶる。彼も震えている。
「わたしの子どものままのからだ。それこそが……罪の証なのだと……」
 大粒の涙がこぼれて、ハンの頬をつたい落ちた。
「ハンナ……」
 カーグは自身の太ももにすがって泣く小さな頭を優しくなでた。
「あなたは天国に行く人間なのですから、墓荒らしだなんて変な真似はやめてください。――もし、それでも墓を掘り起こしたいというのなら、僕もやります。あなたが地獄に堕ちるのなら僕も堕ちます」
 いつもの温かな声でカーグはとても悲しいことを言った。
「だめ。だめよ。カーグはだめよ!」
 ハンが顔を上げたと同時にカーグは椅子から立った。
 そして絨毯の上に片ひざをつき、立ちすくむハンの右手をとった。両手でそれを大事そうに包みこむ。
 あまりにもカーグが真剣なので、ハンは声が出なかった。
「僕をあなたの夫にしていただけませんか? 女主人ハン・ヘリオス・ポルラムの夫に」
 甘い雰囲気というより重々しかったので、言葉の意味を理解するのに少しかかった。
 それがプロポーズなのだと理解したあとも、大きくなる心音がときめきのせいか緊張のせいか分からなかった。苦しくなってハンは息が止まっていたことに気づき、思いっきり吸って吐いた。
「あなたと運命をともにしたいのです。兄でも教師でもなく、夫として。あなたが地獄へ行くのなら、僕はそこであなたを護りたいのです。お願いします」
 強い覚悟を感じた。
 猫足のソファーに鎮座する愛玩犬が黒々とした瞳でふたりを見守っている。
「地獄だなんて、おかしなプロポーズね!」
 涙を拭ってハンは顔をほころばせた。
「もちろん地獄で暮らすつもりはありません。いずれ逃げ出して、天国に忍びこむつもりです」
 慣れないプロポーズを懸命にするカーグがおかしくて、ハンはくすりと笑った。
――喜びのときも、悲しみのときも……死がふたりを分かつまで。
 不意打ちでカーグの唇にくちづけた。恥ずかしいのですぐ離した。
「ハ、ハンナ……」
 ピーターとさんざん深いキスをしてきたくせに、顔を真っ赤にして口をおさえ動揺するカーグが可愛らしい。それだけ自分は特別な人だったのだ。止まりかけた涙がまたあふれ出して止まらなくなった。
 きっとカーグより自分のほうが顔が赤くてどきどきしているに違いない。
 抱き寄せられて、今度はカーグからくちづけた。
 ハンは目を閉じてカーグを感じた。とても温かくて落ち着く。ここが自分の居場所なのだ。
「わたし、女主人になるわ。わたしを支えてください、カーグ。そして一緒に真実をたしかめましょう。あなたとならばなにが起きても乗りこえられる。ふたりでパパのお墓を掘りましょう」
「よろこんで」
 ハンの手をとってカーグはその甲にくちづけた。
「でもプロポーズはやり直してね。もっとロマンチックなものがよいわ」
「もう一回?」
 兄でも教師でもなくなったカーグは少女のような妻に苦笑した。

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