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 吹雪の夜、ペガーズ御者カバネルはシルクハットの代わりに耳当て付きの飛行帽とゴーグルを装着した。
 箱馬車をひくペガーズは四頭立てになっている。通常、四頭立てといえば縦横二列に綺麗に並ぶ。だが今回は後ろの二頭が斜め両側、つまり四頭は半円状に繋がれていた。カバネルいわく「この形態によってペガーズたちは前方百八十度を見渡せるようになります。視界の悪い吹雪の飛行もばっちりですぞ」だそうだ。
「かっこいいわ、カバネル!」
「でしょう。飛行服に身を包むとき、ペガーズ御者の本領が発揮されるのですぞ。だてに飛んでおりません」
 羨望の眼差しを浴びながら、カバネルは得意気に厚手の革手袋をはめた。
「あたたかそうですね、それ。中がもこもこしていますよね」
「羊毛です、温かいですぞ。ところでおふたりはなにゆえそのような恰好をされておるのですか?」
 あまりに不審だったので、カバネルはたずねた。垂れ耳の大型犬を連れているハンはともかく、カーグの外套から覗く擦りきれたズボンは彼らしくないからだ。
 ハンとカーグは互いに顔を見合わせて、目と目で意思疎通を図った。
「それも聞かないで。……でも、ひとつだけ教えられることがあったわ」
 後ろでカーグが麻袋を馬車の中に入れている。ハンは控えめに口角を上げた。
「わたしたち内密に結婚したのよ」
「な!」
 カバネルに話したのだが、驚きの声はかたわらで犬を抱きかかえようとするカーグから発せられた。
「ハンナ、内密という言葉の意味知ってます?」
「あのね、わたし生誕祭の日にカバネルに気づかされたのよ。あなたが好きだって。だからカバネルには伝えておきたかったの。信頼できるひとよ」
 カーグはハンに理解をしめして、カバネルのほうを向いた。
「カバネルさん、くれぐれも他言なさらないでくださいね。ご家族にも言わないでください。結婚といってもふたりで決めただけなので」
 二週間前に恋心に気付いた少女の急展開にカバネルは声を失っていたが、紳士然とするカーグが裏付けしたことでそれが真実なのだと認めざるをえなかった。
 頭を横にかたむけていたカバネルは、しばらくするとふたりを交互に見ながら薄笑いを浮かべた。
「ははあ、分かりましたぞ。こんな悪天候の中で墓地というのは……内密に教会で挙式なさるのですな」
「いえ……まあ、そういうことにしておきます」
 説明が面倒だったのか、カーグは曖昧に答えた。
 ハンはカーグのあとに続いて馬車に乗りこんだ。
 馬車が安定した飛行になると、カーグは真向いのハンに微笑んだ。
「だいじょうぶ。僕の問題はじきに解決するし、あなたの問題もかならず解決してみせるから」
 ふたりは教会で結婚式をあげられない。ハンもカーグも洗礼を受けていないからだ。
 しかしそれ以前に、ハンが研究所の所有物であることが問題だった。ハンはピーターの養子ではあるが、「人間」とは認められていない。ピーターが錬金術で生みだした『キメラ』だ。十三歳から身体の成長が停止している不老人間。研究所の所有物なのだ。
 人間でない生物が本物の人間になることは、とても難しいだろう。望みは薄いが、カーグが希望を持ってくれているだけで嬉しかった。
「内密の結婚でも幸せだけど、待っているわ」
――わたしはあなたを信じている。
 ハンは目を細めた。
 待ちに待った悪天候のせいか、はたまた墓を荒らそうとしているからか、馬車の進みが遅いように感じられた。外を見たいけれど、窓ガラスには雪がびっしりついている。
 長いこと馬車に揺られながらハンとカーグは他愛もない話をぽつりぽつりしていた。
 沈黙が訪れるとびゅうびゅうと吹く風の音を感じた。
「従僕がまた一人やめたそうですよ。もうラファルグしか残っていません」
 温かな犬の背中を撫でていると、カーグが言った。
「あの男はだめよ。忠誠心がないわ」
「でも……」
 思い詰めた顔をしている。カーグはまだ迷っているようだ。
「ラファルグを執事にするくらいなら執事を雇わないほうがましです! とにもかくにも従僕がラファルグ一人になった以上、カーグは執事になったほうがよいわ。あの男には上司が必要なの」
 強い調子で言ってハンは口をつぐんだ。しばらく馬車の中は沈黙した。
「そうですね。ポルラム邸を固めるにはラファルグではだめですね」
 カーグはまだ決めかねているようだった。犬から手を離して、ハンは身を乗り出した。
「カーグ。女主人という身分がわたしを守るように、執事という身分はあなたを守ってくれるわ。まだわたしたちは倒れるわけにはいかないのよ」
「執事という身分が……僕を守ってくれる」
 復唱して、確かめるようにカーグはうなづいた。ハンはそれに大きくうなづいた。犬がひとほえした。
「ほら、この子も応援してくれている。もうあともどりはできないのよ、カーグ」
「はい」
 互いの目を見つめあった。

 馬車は丘の上の研究者共同墓地に着陸した。ハンもカーグも訪れるのは二回目だった。
 真夜中の冷たい風に粉雪が混じり、前がまったく見えない。方位磁針を見てカーグが指さすと、ハンはピーターのにおいを覚えさせた犬を歩かせた。
 しばらく散漫に闇の中を歩いていたが、やがて犬につないだ紐がぴんと引っ張られた。ハンとカーグはにおいに夢中になる犬になかば引きずられながら、墓地を進んだ。
「ちがう! ぐるぐる回っている」
 サラマンダーを詰めたランタンで前方を照らすと翼の生えた白馬がいる。ふたりはとめた馬車に戻ってしまったのだ。
 ハンは犬を馬車の中に入れ、カバネルの警告をよそにしてカーグとふたたび歩きはじめた。
 墓石が規則正しく並んでいるのが逆に分かりやすいとカーグは言った。彼は少し歩いては足を止め、墓石を右手で確かめる。左手は小さな手をぎゅっと握っていた。
 深く果てしない闇だ。凍てつく死霊たちが風となって荒れ狂い、ふたりの進路をさまたげる。
 長い毛足に包まれた子どもの頬っぺたは赤くなり、青年の唇は血色を失っていた。
「はなさないで、カーグ」
「わかってる」
 夫はハンの手をより強く握った。
 凍えて死んでしまうより、一人になるのが一番怖かった。
――いま、わたしたちは地獄の入口にきている。
 ふたりは肩を寄せあって少しずつ歩いた。
 ある墓石のまえでカーグは足を止めた。軍手で雪を払い、刻まれた文字を見る。
「ルイ……マロール。ちがうわ、カーグ」
「待って」
 カーグはポケットから手製の地図を取り出して開いた。この日のために調べておいたのだ。ハンはそれをランタンで照らす。
「四つ隣だ」
 墓石を確かめながら東に少し歩いて、カーグは一個の墓前に立った。
 ここだ。ここに違いない。急に身震いが止まらなくなった。
 ハンの灯りを頼りに、カーグはしゃがんで雪を払った。墓石にはピーター・ポルラムの名前がくっきりと刻まれており、生き返ったときに呼ぶための鐘が設置されていた。
「ハンナ、時間がない。はやく掘るんだ!」
 歯をがちがちさせてハンはうなづいた。ランタンを置いて、外套の中から小型のシャベルを取り出す。カーグと一緒に無我夢中で土をすくっては捨てた。
 吐く息が荒くなる。もしピーターが生きていたらどうするのだろう。生きていたら……目を開いたら……。
 そんなことをいまさら考えてどうなる。ハンは首を振った。やるしかないのだ。
「棺が見えたよ、ハンナ」
 カーグが脂汗をぬぐったとき、『安全棺』の鐘は暴れ出した。

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