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「窓から緑の迷路が見えましたわ、灌木の。周りには花畑」
「どちらの方角か分かりますか?」
 その受け答えはまるで刑事の尋問のようだ。
 ポルラム邸の執事カーグ・ソーンはひと息つくと、応接室のドアをノックした。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
 ダマスク織りのソファーにもたれてふたりの淑女が向かい合わせに座っていた。執事はそのかたわらで紅茶の用意を始める。
 喪服のほうが女主人であり妻のハン・ヘリオス・ポルラムだ。彼女はここ二か月のあいだ、ザキルカ・ラズリ=キリミネの田園屋敷について聞きこみを続けていた。
 聞きこみはザキルカに気付かれないような対象を選び、慎重におこなっていた。さいわいザキルカは十二月より街屋敷に移り住んでいたので、報酬を差し出せば田園の人々は情報提供した。
 墓荒らしのあとハンとカーグは広い田園屋敷――街屋敷は狭いので探すには及ばない――に直接忍びこもうと考えていたが、すぐにそれは無理だと分かった。ザキルカは職場が近いことや狩猟が趣味という理由でちょくちょく戻ってくるのだ。つまり彼が完全に田園屋敷を空けることはなかった。
 そこでふたりはザキルカ邸に堂々と招かれてから忍びこむ作戦に切り替えたのだった。
「どうぞ」
 執事は甘い香りのするティーカップを受け皿に載せて、女性客に差し出した。
 今日の客は、三年前に付き添いでザキルカ邸に宿泊したという夫人の元侍女だった。絶対秘密の条件で話してくれている彼女だが、完全に安心しきってはいなかった。「どこかでザキルカの耳に入ったら」とおそれる気持ちは、カーグにもよく分かっていた。
 小さな女主人は執事から小箱を受け取ると、テーブルの上で客に差し出した。
「お礼にといってはなんだけれど、このカフスボタンをもらっていただけませんか」
「まあ、大粒のサファイアですわね! ありがとうございます。前のお家が没落して、生活が困窮していたところなので助かります」
「少なくて申しわけないのだけれど」
 ハンが抱いているのは、他人の家を探ることに対しての申しわけなさだった。カーグは彼女に罪悪感を軽くする言葉をかけてあげたいのをぐっと我慢して見守った。
 第三者がいる前では、ハンとカーグは女主人と執事だからだ。

 夕食を終えたハンは書斎にこもって図面を引いていた。ザキルカ邸の見取り図を作るのだ。客が招かれる華やかな部屋はもちろんのこと、プライベートな寝室から階下の使用人区画まで、分かる場所は多いほどよかった。
「お嬢さま、お茶を持ってきましたよ。かなり根詰めているようですね」
 ドアを閉めるとカーグは室内を見渡した。
「だれもいないわよ。わたしのカーグ」
 女主人は張りつめていた糸を緩ませて、執事である夫に甘えた声を出した。
 暖炉前のテーブルにお茶菓子を用意すると、カーグは見取り図に向かう妻の後ろから両腕を回した。
「ちょっと。描けないわ、カーグ」
 集中力が見取り図から夫に行ってしまったが、悪い気はしなかった。人前ではいちゃいちゃできないのだ。つかの間の戯れは彼女にとって、もっとも大切な時間だった。
「不器用だな、ハンナ。消しゴムのかけすぎで紙が破れてるじゃないか。ここの居間だってあんまりだ」
 素朴な笑い声が聞こえた。ハンは赤くなって元家庭教師を見る。
「だって、お部屋の数を増やすととなりが合わなくなってくるの! ……あとできれいに描きなおしてください」
 製図の才能が無いのをあっさり認めてハンはお茶の席に着いた。
「カーグはわたしよりピアノも刺繍も上手だし、うらやましいわ。このマカロンおいしい」
「ハンナだってペガーズで空を飛ぶし、シメールに生肉あげられるし――」
 カーグは片ひじをついて、ハンの長所を考えはじめた。ゆいいつ挙げられた項目は理想の淑女像とかけ離れている。
「いいのよ! それくらいで」
 恥ずかしくなって、ハンはカーグの思考を手で追い払った。
 柱時計が十時のときを知らせた。カーグは優雅な所作でマカロンを口に運んでいた。フクロウが鳴く、静かな夜だった。
 平和すぎた。
「カーグ、なにか忘れているでしょう?」
「なにも」
 カーグは口角を上げて見せた。しかし目が笑っていない。ハンはため息をついた。
「来たのでしょう? あのお手紙が」
 夫は端正な顔を少しゆがめて、うなづいた。
「ごめん。君を悲しませたくなくて黙っていたんだ」
 そう言って、カーグは上着の内ポケットから一通の手紙を取り出した。あんのじょう四辺が黒くふちどられている。手に取り、裏返すと封蝋の色は黒かった。差出人も予想通りである。
「ザキルカ・ラズリ=キリミネ」
 封を切ると黒枠の便せんが入っていた。『お悔やみの手紙』だ。悲しみの深さをあらわす黒枠の幅は、封筒のほうは常識的な細さである。しかし、便せんのほうはくっきりとした黒が大げさに主張していた。
 これはもう『お悔やみの手紙』ではない。明らかに中を開けた人間だけを攻撃する嫌がらせであった。
「来るとおもったわ。今日は二十四日だもの。パパの命日」
 これまでもザキルカは先月と先々月の二十四日に『お悔やみの手紙』を送っていた。
――ピーター・ポルラムの死を忘れるな。
 ハンの便せんをつかむ手が震えていた。
「ハンナ、顔が青いよ。こんなもの、燃やしてしまおう」
 カーグは取りあげた便せんを親の敵のように丸め、暖炉の火に捨てた。封筒も捨てようとしたそのとき、中から黒い花びらがはらりと落ちた。
 テーブルに落ちたそれは、紛れもなくピーターが開発した『エリザベス』だった。火の光に照らされて青い色を見せている。
 血に浸る『エリザベス』の映像――生誕祭のときの――が脳裏によぎった。ハンは頭をおさえる。『エリザベス』は幸せの薔薇ではない。死の薔薇だ。
「はやく、その忌まわしいものを燃やして!」
「ああ、もちろん。でもその前にハンナ、『エリザベス』の花言葉は知っている?」
 ハンは震えながら、黒い花びらを包み隠した白手袋の手を見つめた。
「ずっと幸せの薔薇だとおもっていたわ。でもちがうわ!」
「そうでもない。『エリザベス』の花言葉は『自由』。自由への希望。君が『エリザベス』を幸せの薔薇だと信じていたのはそこからきているんだ」
「自由でも幸せでもどうでもよいわ! わたしにとっては気味の悪いばらでしかないの!」
 ハンは取り乱して叫び、早く燃やすよう訴えた。それをカーグは冷静になだめる。
「おちついて、ハンナ。僕はこの薔薇にはザキルカさんからのメッセージがこめられていると思うんだ。自由の薔薇には続きがあるんだ。話を聞いてくれるかい」
 自分の考えを正しいと思いながらも、ハンはカーグの知性を信じてうなづいた。
「カクタス大陸では青い薔薇は奴隷たちの自由の象徴とされてきたんだ。なぜなら、かつて青色の薔薇はこの世に存在しなかったから。奴隷が自由になるのは青い薔薇が咲くのと同じくらい不可能なことだったんだ」
「それでパパは『エリザベス』を作ったのかしら」
 そういえばピーターの母親エリザベスはカクタス人だった。『エリザベス』は母親の故郷のために作られたのか。いかにも母親好きなピーターらしい開発理由だ。
 カーグが欲望の薔薇だと言っていたのはそういうことか。
「『エリザベス』にはパパの強い想いがつまっているのね。だからザックさんは」
 呆れた笑いを吐き捨てるハンに、カーグは首をふった。
「それもあるけど、僕はもっと推測してみたんだ。それどころじゃない」
 花びらを握る手ががたがたと震えだす。ハンは固唾を飲みこんだ。
「連邦政府や奴隷商人たちは、奴隷に自由の夢を見させて反乱を招きかねない青い薔薇を嫌った。カクタスでは『エリザベス』は処罰の対象でもあるんだよ」
 少女は瞳を大きく見開いた。
「ザックさんはわたしたちを……処罰する」
 カーグは眉をひそめてうなづいた。

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