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 貸し切りの阿片鉄道はユース=メルス島を横断する長い道のりを走っていた。
 青々としたケシ畑が一面に広がっていた。春になると白く清楚な花を咲かせるらしい。――見られなくて残念だ。それに、阿片の収穫も見てみたかった。
 砂漠しか知らない少年の瞳には、外地のありとあらゆるものが色鮮やかに映っていた。
「花とケシ坊主、見たかったですばい」
 ずっと続く草の光景に見飽きると、ショウ・カミルファンは思いきり伸びをして座りなおした。
 ここは一等席――要するに金持ちの席だが、快適な旅でもなかった。
 陸を走る『蒸気機関車』という乗り物は、故郷での長旅に欠かせない『ラクダ』とは比べ物にならない速さであった。その前に乗った『蒸気船』もしかり。巨大な鉄塊を走らせる蒸気機関は外地の画期的な大発明だ。
 しかしもう少し速く走れないものか。
 向かいの男女とずっと顔を突き合わせているのはそろそろ苦痛だった。長旅のコンパートメントの窮屈さといったら!
「ミギワ。君はどうして髪を切ってしまったんだ? 俺は女性の髪をかきあげるのが好きなのに」
 時の人ザキルカ・ラズリ=キリミネは、連れてきた侍女――というよりお飾り――に夢中であった。ミギワは神聖な白亜宮殿のごとく浮世離れな容姿をしていた。控えめに微笑む彼女の顔には、うっすら恐怖の色が混じっている。
 ザキルカは侍女の白い胸元を飾っていた黒い薔薇を摘み取って、彼女のさっぱりした白髪に添えてみた。彼の左手の薬指には先日北世界中を騒がせた婚約の証が輝いていた。
「うーん、いまいちだな。やっぱり君には赤が似合う。知ってるかい、情熱の赤だよ」
 若紳士は侍女がさっきから一言も喋っていないことには気づかず、浮ついた言葉をぺらぺら並べている。賭けてもいい。彼女の恋心は浮気男には向かない。
 ショウは目をみはった。ザキルカが手にしている薔薇の花に釘付けになる――。
「ちょっ、それ『エリザベス』の生花やん! なんち物騒なもん、持ちよると!」
 敬語を忘れて、テーブルに両手を叩きつける。グラスが倒れた。ショウは前のめりで身をがたがた震わせる。
 向かいのお坊ちゃんが持っている薔薇はよく見ると青かったのだ!
「うわあああ、殺されるたい!」
 長椅子に引っこみ、少年はすみでちぢこまった。高らかな笑い声がする。
「ここはもうカクタスじゃないんだぜ。お前の亡命は成功したんだ、ショウ」
 そろそろと顔を上げると、ザキルカは光の具合で黒くも青くもなる『エリザベス』の匂いをかいでいる。
 ショウの緊張はまったく解けなかった。
「外地では『エリザベス』持っとっても逮捕されんっち知っとります。でも、おいら十七年間で染みついた精神が、あ、あるんですけん!」
 びくびくしながら抗議したが、ザキルカの言葉通りだ。なにを恐れる必要がある。もうここはカクタスではない。『エリザベス』はショウにとって怖い花ではなくなったのだ。
 ショウはうなづくことで自身に言い聞かせた。
――新たな土地で新たな人生を始めようと、故郷を脱したのではなかったか。
 そのためにはまず『エリザベス』を克服しようと思った。
「坊っちゃんは『エリザベス』が好きなんです?」
「もちろん。なんてったって、“自由”の薔薇だからね! ははは」
 薔薇を遊ばせるもう一方の手を女の腰に回しながら、貴族の息子は上機嫌で笑った。上流階級特有の怖いもの知らずな笑いかただ――自信に満ち満ちた。
 上流階級の生態など知ったことではないが、未来に希望と不安を抱く者の前でくつろぎすぎているのは少々不快だった。
 そんな心に感づいたのか、ザキルカは黒檀の杖をショウの鼻先に向けた。高慢な態度にむっとしたが、表情には出さないでおく。
「なんだい、その顔」
 出てしまっていた。身を後ろに引きながらショウは後悔の念に駆られた。
 さっと杖を下げると、ザキルカは優雅に脚を組み直した。
「さて。退屈しているようなので、ポルラム邸の話でもしようか」
 ちょうどミギワが空になったグラスに赤ワインを注いでいるところだった。ザキルカがどれくらい酔っているのか不安ではあるが、ショウはうなづいた。
「おいら、絶対ポルラム邸で雇ってもらえるんですか? 人気ですけん、なかなか厳しいっち聞くんよ。おいら、カクタス人やろ? 大きい屋敷で働いた経験もないんよ?」
「ああー」
 飲みかけのグラスを美女に持たせて、ザキルカはあごを撫でた。
「それは屋外使用人のことじゃないかな。ポルラム邸の庭師や飼育係などは北世界最高レベルだからね。俺が言っているのは不人気な屋内のことさ」
「そうき、屋内ですたい。おいら、ずっと台所のこと言っとったんです。アンリ・ポワンは素晴らしいですけん、北世界中から料理人が集まる噂を聞くんです」
「お前、なんでポルラム邸のシェフの名前知っているんだよ。そっか、そっち方面では有名なのか、あのシェフ……。まあ、じゃあ、台所も諦めてくれ」
 ザキルカの中身のない笑みに、ショウは隻眼から困惑の眼差しを送った。褐色の手のひらを返して大きな身振りで抗議の意を示す。
「台所以外では働けんですばい! おいら、スパイス挽きの専門です!」
「あるじゃないか。お前、給仕もできるだろ。お前がいくらちびで言葉のあやしい外国人だろうと、給仕は不足しているはずだから大丈夫さ」
 意味深長な含み笑いをザキルカは浮かべた。
「“ハン・ヘリオス”は格式なんて構っていられないはずだよ」
 単眼鏡の中のつり目が細くなった。青い瞳には仄暗いものが宿っていた。
 ザキルカが女主人の名前を途中で切ったのは、聞き違いとは思えなかった。嫌な予感がした。
 故意に切ったのならば――。だとしたらなぜ“蔑称”で呼ぶ人間のもとへ自分をよこすのか。
 ユース=メルス島の二月は寒いはずなのに、ターバンの下に汗がふきだした。
「ポルラム邸の女主人は坊っちゃんのお友達やなかったとですか?」
 ショウの緊張した口調にザキルカは小首をかしげた。しかし、肩をすくめる。
 ザキルカは蔑称を発したことに気付いていなかった。無意識の蔑称である。しかし、それこそが非常に厄介なものなのだ。それは彼のうちにひそむ感情が根深いことを意味していた。
「友達だった。友達だと思っていた」
 青年は過去形で答えたが、そこには相手への憎しみや軽蔑といったものは感じられなかった。
「彼女は――ハンナさんは俺を友達だと思っていなかったんだ。ショウ。ハンナさんが錬金術で生まれた『キメラ』だってことは知っているね、教皇と同じ」
「は、はい。坊ちゃんから聞きましたけん」
「俺が錬金術師であることも」
「はい」
 ザキルカは今一番注目されている人だ。彼が『キメラ』開発を主とするナール研究所の所長で、シルゾルト公女ピクネシアの婚約者だということ、それは本人が言わなくても新聞なり噂なりで北世界中のだれもが知っていた。
「ハンナさんはね、白衣を着た人間――俺たち錬金術師を含む研究所の――に心を開かないんだ。俺は友達だと思っていたんだけどね」
 ザキルカは自分には非が無いというように“友達”を強調した。
――奴隷商人と奴隷みたいなものか。
 ショウはおぼろげに身近なものを思い浮かべて、彼の問題を理解した気になった。
「そうやね。坊っちゃんと女主人が友達になるん、無謀ですたい」
「いや、でもね、ショウ。俺はハンナさんのこと好きなんだよ。それに俺、ハンナさんの保護者みたいなものになったんだよ。でも、彼女は心を開いてくれない」
 今度は「好き」とか「保護者」とか、今まで信じてきた内容からどんどん変わっていく。いったいなにが真実なのか。ショウは目を据えて青年を見る。
「おいら、よく分からんですたい。ふたりは友達やーなかとです? 坊っちゃん、『友達の屋敷が人手不足やけん、困っとる』っち言ったですやろ。あれは嘘だったん?」
 ザキルカは額に手を当てて唐突に笑い出した。阿片でもやっているのだろうか。
「つまるところ君にハンナさんを見ていてほしいんだよ、ショウ。俺の代わりに」
 笑い出したかと思ったら、今度は切なそうにため息を吐いた。
「ほんとうは四六時中見ていたいんだけど、さすがにそういうわけにはいかないだろ」
 ショウははっとした。ザキルカはポルラム邸の女主人に恋愛感情を抱いているのかもしれない。不意に出た蔑称は、自分に振り向いてくれない彼女への不満。そうだ。これならプライドの高いザキルカらしくて納得がいく。
「おいらが見て、どうするんです?」
「もちろん逐一俺に報告するのさ。報酬は払うから」
 やっぱり、とショウは思った。そして確認のために聞いてみた。
「坊っちゃんはポルラム邸の女主人を支配したいんですか? 男として」
 うなずきながら聞いていたザキルカはしばらく笑顔のまま固まって、豪快に笑い声をあげた。テーブルを手でばんばん叩きながら。
「まあ、そういうところだ。話が早くて助かるよ。やってくれるね、ショウ?」
 ザキルカの思惑が分かったのはいいがショウは気乗りがしなかった。彼は下を向いた。
「坊ちゃん。見て報告するん、スパイみたいや。おいら、やりたくないです」

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