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 相手はとたんに眉をひそめた。それを見て心拍数は上がる。
 ザキルカはややあって切り出した。
「報酬はポルラム邸の倍払う。ポルラム邸の給金と俺からの給金、両方もらえるんだ。どうだ。こんな上手い話はなかろう?」
 ショウは黙りこんだ。外地の金持ちどもは、自分たちカクタス人が金さえ積めば何でもやると思っている。カクタス人は馬鹿だと思っている。実際それは正しいのだが、カクタス人みんなをひとくくりにしてもらっては困る。争いごとを嫌い、奴隷や臓器を売りたくない者だっているのだ。
 ザキルカは背広の内ポケットから革張りのタバコ入れを取り出すと、蓋を開けてショウに一本取るよう促した。中には高級そうな紙巻きタバコが詰まっていた。心が揺れる。
 紙巻きタバコをぎこちなく指に挟むと、侍女がマッチで火をつけてくれた。
「ああ、たしかにスパイさ。でもスパイがいけないとか、綺麗ごとを言っていられないんだ!」
 外地の金持ちはこんなに美味いものを吸っているのか。感動を表には出さずに、口から紫煙を吐いてショウはうなづいた。
 承諾がなかなか得られないザキルカは明らかにいらだっていた。紙巻きタバコを手に取り火をつけさせる。テーブルに灰皿が用意された。
 彼はふたたび説得をはじめた。今度は飾り布を一枚取って。
「ハンナさんは研究所で手厚く保護を受ける対象なんだ、この世でただ一人の不老人間だからね。君のところの教皇みたいに」
 ショウはカクタス国教『海竜派』の教皇――白鳥の片翼をピーター・ポルラムにつけられた――を思い浮かべた。
 教皇の周りには常に厳重な警備がなされていた。そして彼を傷つけたものは有無も言わさず処刑されるのだった。
「俺は彼女の管理責任者なんだ。なにかあったら研究所は俺を……」
「ああ、分かっとる」
 一緒に紫煙を吐きながら、ショウはザキルカが急に哀れに思えてきた。
「でも、おいらのほかに見守る人おらんのですか?」
 貴族の三男坊から目を背ける。いつの間にか景色がケシ畑から薄暗い工場群になっていた。
 ザキルカは悲しそうな瞳をショウに向けている。気高い青年は心なしか震えていた。
「絶望的だよ!」
 急な大声に、ショウは紙巻きタバコを落としそうになった。
 ザキルカは下を向き、苦悩するようにかぶりをふった。
「ポルラム邸には悪い執事がいるんだ! かつて居候だったその男は、ポルラム博士が亡くなってハンナさんが女主人になると、執事として邸を乗っ取ったんだよ。ハンナさんは彼に騙されている」
「悪い執事おるなんて聞いとらんですたい! なんで隠しとったん!」
 ショウは両手を返して驚きと抗議の意を示した。おとぎ話によくある「囚われの姫君を救い出す」ような話だが、現実で自分が救い出すのはごめんだ。前言撤回する。カクタス人である自分は外地の文化がまるで分からないし、言葉だって不十分なのだ。
「無理たい!」
 ザキルカの恋が成就しなくても研究所に殺されても、それは仕方のないこと。危険を顧みず他人を助けてやれるほど、自分はお人好しではないのだ。
「その右目はどうしたんだ、ショウ!」
「え」
 顔を上げた。
 突飛なことを言ったザキルカに、ショウは戸惑った。右目は――無い。
 ザキルカは肩をすくめて言った。
「ショウ、俺はお前を見込んで連れてきたんだ。その右目、悔しくないのか? 勘違いしているようだけど、その男はいかにも悪そうな中年じゃないぜ。逆だ。人のよさそうな美青年さ。だからハンナさんをはじめ、邸のみんなに信頼されているんだ」
 失明している右目を隠す髪の上から触れた。
 片方失っているからこそ、ただひとつの目は色々な物を見てきた。ザキルカが見込んでいるのはそれのことだろう。
 ザキルカはショウが観賞用奴隷商家の生まれだということを知っている。そして、美しさに対して値踏みする癖も知っていた。
「坊っちゃん。黄色い瞳は希少や。おそらくヘリオス色の瞳を持つ女は北世界にハン・ヘリオス・ポルラムだけやろ。シトロンのカミヨで連邦の半分が買えるんですたい、ハン嬢も同じくらいかもっと。それだけ高嶺の花を坊ちゃんは手に入れたいっちことですか?」
 図星か。片眼鏡の青年は切れ長の目を見開いたまま呆然としていた。紫煙を吐きだすまで、彼の時は止まっていた。
「あ、ああ。そう。北世界一、いや箱庭一美しいだろうハンナさんが欲しいんだ。心を開いてほしいんだ。でも俺は錬金術師だ、無理だろう。だから幸せでいてくれればいい。俺は屋敷にいるときの彼女の状態を知って、安心したい。『手にいれたい』だなんて大それたことは言わないから、俺のせめてもの願いを聞いてほしいんだ、ショウ」
 灰皿に紙巻きタバコをおしつけながらショウはザキルカを見た。そして隣の侍女ミギワに目を移した。石膏像のように真っ白な彼女も、ハンと同じ希少価値の高い人種である。
 化けの皮は今はがれた。ザキルカは恋する青年ではなく人間収集家だったようだ。
 ショウは水色の目をしばたたかせた。
 仮に自分が危険を冒してハン・ヘリオス・ポルラムを手に入れたとしよう。ザキルカは宝石を飽きずに持ち続けられる男だったろうか。自分の知るかぎりでは違う。たとえばミギワを口説けたとして、彼が情熱を注ぎ続ける保証は一体どこにある?
――そもそもザキルカは信用できる男か?
 決断に踏み切るための材料が欲しい。
「ショウ。ショウ。おい、そんなに考えることか」
 いつの間にか頭を包みこみうずくまっていたようだ。ショウは眉間にしわ寄せた顔を上げる。
「どうしても……諦めることはできんのですか、坊ちゃん」
 抑えた調子で少年は紳士に訊いた。
「もちろんだとも」
 しなびた一輪の『エリザベス』を手で弄びながら、レンズ越しの瞳は微笑んだ。
 ショウは床を踏みつけた。
「ふざけんな! 坊っちゃんの一時の興味のためだけに、金さえ積めばカクタス人が動くとでも思っとるんです? 馬鹿にせんといてください!」
 声を張り上げて大きい身振りで怒るカクタス人を見上げ、ザキルカは不快そうに脚を組み直した。

 懐中時計をポケットに押しこんだ。
 窮屈なコンパートメントにかれこれ六時間。ザキルカ・ラズリ=キリミネは予想外の展開に頭を悩ませていた。
 こんなときはミギワのなだらかな肩に頭を寝かせて安らぎたいが、いまそれをやると交渉は決裂してしまうだろう。
 ショウの言うとおり、金さえ積めばどんな汚い仕事でもやるのがカクタス人だと思っていた。カクタス人というのは砂漠と宗教にがんじがらめにされた、野蛮で淫乱な民族ではなかったのか。
 窓の外はもう暗い。この蒸気機関車が走っている、島の小国パーパスは「腐敗した北世界の縮図」と言われていた。パーパスの主要産業が義肢と占星術、そして阿片ケシ栽培だからだ。義肢は紛争の絶えないカクタスや退廃趣味なスティーアの上流階級に需要があり、占星術は“科学主義の殉教者”である錬金術師のためにあり、阿片の爆発的人気は北世界の世相を反映していた。
 ザキルカは窓ガラスに映る自身の顔を見つめた。――陰鬱な世の中だが自分の瞳はまだ光を失ってはいない。
「星が綺麗だ。窓を開けてもいいかな」
 オレンジ色に染まる行きづまったコンパートメントを夜風が冷やしてくれた。ザキルカは厚手のフロックコートを侍女の白肌にかけてやった。
 鈍色のくせのない髪がショウ・カミルファンの顔まわりをひらひら舞っていた。ショウはターバンをほどいて、首回りにマフラーのように巻き付けていた。
「寒いけん、閉めてください」
「ああ、ごめん。もう閉めるよ」
 少年はむすっと言ったが、頭は冷えているようだ。窓を閉めるとザキルカは座席に戻り彼と向かい合った。
「さっきは悪かったよ。スパイは髪の毛を売るのとはわけが違うもんな」
 ショウはぎょっとして不自然に切られた顔周りの髪に手を触れた。
 彼が髪を売る――金に困っていたのは知っていた。普段ターバンの中に隠している青みがかった金髪は異様に艶やかだったから。
 勝ち誇った笑みを心にしまって、特に気にしていない風を装ってザキルカは頬杖をついた。
「俺はね、ショウ。正直、ハンナさんの目の色も研究所の命令もどうだっていいんだ。……ただ美しいものを愛しているだけ」
 寂しそうに言った。ターバンを頭に巻く手を止めてショウはザキルカを見たが、何も言わず巻く手を再開した。耳はザキルカに向いていた。
「ハンナさんは研究所にとっては不老不死の霊薬かもしれないが、俺とピーター師匠にとっては“美術品”なんだ。ピーター・ポルラムが追い求めた理想、彼の母親をモチーフにした“永遠の少女”がハン・ヘリオス・ポルラムなのだよ! それが俺にとってのハン・ヘリオス・ポルラムでもあった……」
「“あった”?」
 語尾の過去形にショウ・カミルファンは眉根をひそめる。
 彼にならば我が苦悩の十分の一でも理解させることができるかもしれない。息を吸いザキルカは呼吸を整えた。
「ピーター師匠が亡くなるまでは、研究所の実態を知るまでは、ハンナさんは俺にとっての女神だった。この世の美の頂点だった。しかし、いまはそうは思わない」
「どうしてなんです? 希少な目の色なのに」
 両手の平を返してショウは小首をかしげた。彼は“永遠の少女”よりヘリオス色の瞳に重きを置いているらしかった。
 美の観点が食い違っていた。彼の同情は誘えないのだろうか。交渉成立は難関だった。
「目の色は忘れてくれ。ここでの論点はハンナさんが研究所で生まれたピーターの美術品であること。結論は、ハン・ヘリオス・ポルラムは“狂った科学主義教団”の産物! 彼女の作製に携わったピーターは彼女を上手く扱えず命を落とした。ピーター・ポルラムは“殉教者”なんだ」
「殉教者……」
 ショウは聞き慣れた忌まわしい言葉を反復した。カクタス人はハン・ヘリオス・ポルラムの問題点に気付きつつあった。
「そう、殉教者。研究所の実態はレッガスの宗教団体『五竜派』である。『五竜派』は創造主である神を否定し、科学による人類の昇華を目指しているのだ! 彼女らは、もともとあるブリンガルの『キメラ』作製術を利用して研究所を作り、錬金術師を集めて人体実験を行わせるようになり――」
「ちょ、ちょっと」
 感情がこもってまくしたてはじめたザキルカの熱弁を、慌ててショウは遮った。ザキルカは自分の世界から目覚めた。
「おいら、坊っちゃんみたいに頭よくないですけん、難しくて分からんですたい。研究所が『五竜派』なんは分かったけど、『五竜派』の教義が分からんですばい。“人類の昇華”がまず分からん。それに“殉教者”の意味も分からんとです」
「そりゃそうさ。実は俺もよく分からないんだ。なんてったって、やつら“狂った科学主義教団”だからな」
 ザキルカは自分を含む研究者を皮肉るように笑った。
「殉教者とは俺たち錬金術師のことだ。レッガス研究所いわく、『錬金術師は来るべき理想の世の“礎”』だそうだ。来るべき理想の世がどういうものなのかは知らんが、“礎”というのは『死ね』ということだ。実際……」
「坊っちゃん」
 ザキルカは言葉を詰まらせた。彼は片眼鏡を外して瞳にためられた水滴を拭った。
「ごめん。とにかく、錬金術師ピーター・ポルラムは研究所の狂ったあの『不老不死開発プロジェクト』でハンナさんを生み出してから、酒と阿片に溺れてしまった。その内容を詳しくは知らない。ただ、ハンナさんは……ハン・ヘリオス・ポルラムは研究所の狂気そのものだったんだ! 生み出してはいけないものだったんだよ!」
 所長として張りつめていたものが崩れた末っ子の三男坊は冷静さを欠いて取り乱した。
「坊っちゃん。分かったけん。いや、分からんけど、坊ちゃんの心は分かったけん」
「ピーター・ポルラムはペガーズのように美しい『キメラ』を作りたかっただけなのに! 俺と師匠は神に抗う“研究者”なんかじゃない! 美を求める“錬金術師”なんだよ!」
 頬に雫が一筋つたい、慌ててそれを袖で隠した。
「坊っちゃん。おいら、スパイをやるけん。坊っちゃんの力になりますけん」
 ザキルカは恥ずかしくてショウの顔が見られなかった。彼は顔を背けたままショウを指差して言った。
「今の言葉、取り消すなよ。ミギワ、今聞いたことを覚えておけ」
「給金はしっかりいただきますけんね、坊ちゃん」
「ああ、もちろん」
 苦笑いで振り向くとショウが握手を求めていた。ザキルカはその手をはたいた。
「調子に乗るな。少し酔っただけだ。泣き上戸なんだ」
 唇を尖らせて侍女の肩を抱いた。
 素直になれない紳士にカクタス人は微笑しながら肩をすくめる。
「ふん」
 ザキルカは窓の外の星空を眺めた。まぶたを閉じて、星がきらめく音を感じる。
 このカクタス人はハン・ヘリオス・ポルラムの危険性について理解できていなかった。説得できなかった。
 だが、そんなことはどうでもよい。はなから期待もしていない。
 ただスパイとしてポルラム邸に送りさえすればいい。

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