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 ザキルカとショウを乗せた無蓋馬車は先の見えない大自然の中を走っていた。ここは前当主ピーター・ポルラムが築きあげた楽土――ポルラム庭園である。
 ポルラム邸は門から邸宅までの道のりが常識はずれに長いのだが、御者には急いで走らないよう命じた。北世界一美しいピーター・ポルラムの『キメラ』たちをじっくり眺めたかったからだ。
「このでかい鳥も、向こうの山も、そこの変な生物も、みーんなポルラム邸ですか!」
 左腕を大きく動かしながらショウは驚きっぱなしだった。濡れた鱗を持つ怪鳥が彼の頭上に影を落としていた。
 ザキルカは自分が褒められたように嬉しくなる。
「そう。すごく広いんだ。素晴らしいだろう。ポルラム庭園はピーター師匠と園丁頭が創りあげた小さな生態系なのさ。微生物から大きな森まで『キメラ』がうまく共存する、奇跡のようなことが成立しているのだ」
 そう言って恍惚のため息をついた。
「みんな創ったんですか! 信じられんけど、『エリザベス』や不老人間を創った博士ですけんね。すごいんやねえ。神さまみたいや」
「神さま? うーん。創造主みたいに言う人もいるけれど、ピーター・ポルラムは“芸術家”だよ。錬金術で『キメラ』を創るのは、彼にとって画布に絵を描くのと同じ感覚なんだ。さっきも言ったけど、ポルラム邸は彼にとって至上の美であるのさ」
「おいら芸術よく分からんけん。でも坊ちゃんがおっしゃるんや、それはもう美しい庭なんですね」
 ショウは少し腑に落ちないといった様子だった。それもそのはずだ。ザキルカだって庭園の真の美しさを知ったのはつい最近なのだから。
 “芸術家”ピーター・ポルラムは弟子入りを志願するザキルカにこう言った。
――人を殺めたことのない貴方に私の世界が分かるでしょうか。
 九歳のザキルカはその言葉の意味を間違えて解釈した。貴族の子どもが興味本位で入っていけるほど生易しい世界ではないのだと、貧乏育ちの苦労人が意地で見くびっているのだと、そう思った。
 だから若気のいたりで押し切った。あまり深く考えなかったのだ。
 いつか、彼はこうも言った。
――ザキルカさま。ポルラム庭園が美しいのは、天国へ行くことができない人間が作ったからです。この庭園は“私の”地上の天国なのです。地獄へ堕ちる運命にある“私の”生前の慰みなのです。
 ピーターは己の世界にザキルカを入れてくれなかった。
 ザキルカはピーターが感じるものや見えるものを知りたくて、「研究者として人体実験に携わりたい」と何度も頼んだ。しかし、ピーターはそれを許さなかった。彼はザキルカが人体実験に携わることはおろか、研究所と深く関わることもさせなかった。
 師匠と弟子のあいだには見えない隔たりがあった。ずっと疎外感を感じていた。
 ザキルカの身分が疎ましくていじわるしているのだと思っていた。師匠のそばを許されるハンやカーグに嫉妬した。
 でも、今はそう思わない。人を殺めて、研究所の実態を知って、弟子は「ピーター・ポルラムが自分を守ってくれていた」のだと気づいた。そして、ポルラム邸の真の美しさが身に染みて感じられたのだ。
――カーグは道連れ。ハンナは罪悪。ポルラム邸は私の膿、私の幻想、私の楽園。貴方には害しか及ぼさない。
「ここがこの世だとは思えない。これほど美しかっただろうか、ポルラム邸は」
 片眼鏡の水晶が陽にきらめいた。
 白いもやが大樹を包んでいる。ヘビの尾を振りながら、シメールは天に向かって火を吹きあげた。赤ん坊のヒッポグリフが花を食み、溢れる緑に包まれたロタンダの石像が光り輝く。羽根を広げた金色のクジャクがパイプオルガンのような声で鳴いていた。
 ポルラム庭園の庭師や飼育員は天国の番人のごとく――。
「ポルラム邸の美の頂点がハン・ヘリオス・ポルラムなんですね」
 連れの少年の何気ない一言が、ザキルカの胸をかすかに締め付けた。
 ショウは春夏秋冬がいっぺんに来た山々を見ながら、どこからともなく聞こえる鳴き声のオーケストラを聞いていた。
「彼女はピーター師匠を破滅に追いやった女だよ。研究所が生み出した“生み出してはいけなかったもの”」
「なにをおそれているんです、坊ちゃん?」
「彼女の魅力に取りつかれるのを」
 ザキルカは口もとを手で隠した。揺れる馬車の中でショウは白い歯を見せた。
「なんね。ピーター・ポルラムを破滅させたっち、そういうことなんです? 危険な女ほど価値が高いんですよ、坊ちゃん」
 にやにやするカクタス人に、ザキルカは深刻そうにため息をつく。
「そう思うなら勝手にしろよ。俺は欲しくない」
 ショウはなにも知らないからだ。ザキルカは帽子を取って、額の湿り気をぬぐった。
 やがて彼はいやでも気づくだろう。ポルラム邸――ピーター・ポルラムの世界がいかに美しく残酷なものであるかを。
 ふと空を見上げると、一両のペガーズ馬車が走っていた。

 絵本に出てくるような赤い屋根の邸宅は、庭の豪華さに埋もれていた。正面玄関前に立っていたのは執事ではなく、仕着せ姿の華やかな従僕だった。
「ザキルカ・ラズリ=キリミネという者です。急に訪ねてきて申しわけないとご主人に伝えてほしい」
「お待ちしておりました、ザキルカさま。女主人にはすでに伝わっております。私は彼女から、あなたがたを応接室にお通しするよう言いつかっております」
 初対面の従僕ピエール・ラファルグは、ザキルカを少し見つめてからターバンの少年の姿を確認した。ラファルグは緊張しているようだった。
「――どうぞ、こちらへ」
 玄関ホールに入るとラファルグは、ポルラム邸では普段使われないシルゾルト語でザキルカに微笑みかけた。彼は自分の存在に気付いてほしいようだった。
「シルゾルト語がお上手だね。“奥さま”の手ほどきの賜物ですね、ピエール・ラファルグ」
 ザキルカは「君を知っているよ」と皮肉たっぷりにシルゾルト語で返してやった。ラファルグは顔を真っ赤にした。大柄な体がどことなく縮んで見えた。
 気まずくなったのかそれきり一言も喋らなくなったラファルグの後姿をザキルカは眺めた。直接会ったことはないが、手紙では数回やりとりしていた。ラファルグのたどたどしい字面から、野暮でどんくさい男を想像したのは的外れではないようだ。
 従僕として申し分ない背丈である。しかし、長年ピーターに疎まれていたというのが解せなかった。彼の容姿は押し込めるには勿体ないものだったから。ピーターがこんなに美しいものを嫌う理由はただひとつ――“奥さま”か。
 応接室に着いた。ラファルグは精悍な顔立ちでぎこちなく微笑んだ。ドアが開かれる。
「じきに女主人が参りますのでこちらでお待ちください。紅茶とコーヒー、どちらがよろしいですか?」
 帽子と外套を預かった従僕ラファルグは深い青の瞳でザキルカにたずねた。
「コーヒーを頼むよ」
「かしこまりました」
 従僕が部屋を出ていくと、ザキルカは豪華な部屋に躊躇するショウをダマスク織りのソファーに座らせた。向かいの肘掛椅子に腰を下ろして、ザキルカは革手袋を脱いだ。
「お前が上流階級にもてなされるのは一生にこれっきりだろ。今のうちにくつろいでおけよ」
 脚を組んでショウを見ると、先ほどのラファルグ以上に固まっていた。
「こんなすごいお屋敷……おいらには無理たい。さっきの使用人みたいにできんばい……」
「落ちつけよ、ショウ。クラブの給仕みたいなものだよ。まあ、女主人を見たら自信が戻ってくるさ」
 ザキルカは懐から紙巻きタバコを一本取り出してショウに吸わせた。紫煙を吐きながらショウは遠くを眺めた。
「壁に天使が舞いよる」
「天使。そうだな。見慣れていたから気にしなかったよ。――あれもピーター・ポルラムの世界といえば世界だな」
 応接室の壁一面に描かれたおびただしい数の天使たちを眺めた。飛び交う天使の中央には聖なる母が鎮座していた。
 庭園がピーターのための楽土ならば、応接室の壁画は訪れる人へピーターが自慢したいものだった。聖母のモデルは分からないが、天使のモデルは間違いなくカーグ・ソーンだ。
 彼はピーターの一番近いところにいて、ピーターにとってなくてはならないものだった。ピーターはカーグを「道連れ」と言ったが、それには「人生の伴侶」という意味も含まれているだろう。
 無邪気に飛び回る天使を眺めてザキルカは唇を噛んだ。ピーターとカーグの深い関係が気に入らなかった。ふたりのあいだに流れる共通の血が羨ましかった。ザキルカを腫れものにさわるように扱い、カーグには醜態をさらけ出すピーターが嫌いだった。
 ハンから逃げたピーターが最後にすがったのがカーグで、カーグが愛しているのはハンだということ。その中に入ることのできない自分。悲劇さえも美の糧にする屋敷の中に自分も入れてほしかった。そのためなら死んでもいい。
 そもそもピーター師匠は、弟子もまた彼のカーグに惹かれていたことを知っていただろうか。弟子が社会的に認められないその愛を飲み込み、憎悪に変えたことなど知らないだろう。それほど師と弟子には隔たりがあった。

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