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 当然だが使用人志望と知れたとたん、ショウ・カミルファンの扱いは格下げされた。
 客だったときは立派な玄関ホールを堂々と進み、煌びやかな応接室でくつろぐことができた。だが今は違う。かびっぽくて日当たり悪い屋敷の裏側をせかせかと歩いていた。
 ゆいいつの華は道案内する美青年の後ろ姿だった。顔周りで遊ぶ彼の濃淡ある金髪は、紺色の西洋服によく馴染んでいた。
「ちゃんとついてきてるか?」
「はい。狭いですけん、進むしかないですやろ」
「そうか。おめえ、急に黙っちまうからさ。チビだし気配が感じられねえ」
 使用人は白い歯を見せて笑った。親しみやすい人だ。
 見上げるほど背の高い彼がこちらを見るたび、ショウは赤くなった。切れのいい低声も魅力的だ。――二十代後半だろうか。
「あの、あなた名前なんち言うんです?」
「……ラファルグ」
 名前を言い出すまでに、ためらうような間があった。
「そうなん。おいらショウばい。ラファルグさんは給仕しとったけど、配属は給仕なん?」
「ラファルグ。敬語使わなくていいぜ、ショウ。使わないといけないひともいるけど、オレには気楽に話していいからよ。おまえ、オレの仕事に興味あるか?」
「は…ああ。おいら前の職場で給仕しとったんよ。ラファルグいいやつやき、一緒だと楽しそうばい。まあ、希望は台所なんやけど」
「へえー」
 ラファルグは興味深そうにショウの顔を覗きこんだ。思わず顔を背ける。見つめていると惚れてしまいそうだ。
 いっぽう、女主人ハン・ヘリオス・ポルラムの美しさは期待外れだった。ザキルカの好みなのだろうが、自分は美しいとは思わない。ただのませた子どもである。青白くて痩せぎすで、なにより女性としての魅力を微塵も感じなかった。
 ハンなんかよりラファルグのほうがずっとずっと美しい。
 この完璧な美貌の持ち主が、仮にひどい性格であったとしてもショウは許してしまうだろう。心地よくてずっと見ていたい。ラファルグには明朗で雄々しい美があった。意志の強そうな濃い眉、吸い込まれてしまうスミレ色の瞳、通った太い鼻筋、荒々しいもみあげと無防備な肌の調和、健康的なピンク色のくちびる、低音が豊かに響くのどぼとけ――高く売れそうだ。
「台所は分かんねえけど、小姓にはなれるんじゃねえか?」
 ラファルグは目を細めてショウを見つめる。魅惑的な瞳は純真でもあった。
 ショウは下を向いてはにかんだ。

 流水がたぷたぷする中に、せわしなくこすられる鍋の音。ショウは遠い異国の地でやっと身に馴染む音に出会えた。旅の疲れや見知らぬところでの緊張も吹っ飛んでしまった。
 日が沈みはじめたころ、台所では下っ端と思われるエプロンの娘たちが洗い物をしたり、オーブンで甘い菓子を焼いていた。前の職場では外地向けの料理を出していたので、ポルラム邸の台所にショウはさほど違和感を感じなかった。
 しかし女性が多いのには驚く。カクタスでは女性が性的役割を抜きにして、しかも奴隷ではなく雇われて働くのは一般的ではないからだ。でも考えてみれば、妻を一人しか持てないとか女の貞操とか……不自由な文化を持つ外地のこと。カクタスとは女性の扱いがまるで違うのだ。
 納得してショウは台所を見回した。文化は違えども台所は自然と笑顔になれる場所だ。立派な鋳鉄製の石炭レンジは牛一頭丸ごと焼けそうだ。ぴかぴか輝く銅製の鍋たちが壁一面に行儀よく並んでいる。けれども、スパイス専用の棚やナンを焼く窯が見当たらなかった。
「ここではカリー作らんの?」
「作るよ。こっちはカリーばっかり食わないけどな」
「ふうん。そりゃそうや」
 ショウはラファルグの返事を半分聞き流しながら、シェフを探した。アンリ・ポワン。顔は知らないが、彼は男性だ。見ればすぐ分かる。しかし注意深く見ても、台所はエプロンの娘ばかりだった。
「なあ、ショウはカリー作ってたのか?」
「シェフ・ポワンはどこにおると!」
 すごい剣幕にラファルグはひるんだ。台所でのショウはそれ以外とは別人だったからだ。
「え、まだおまえ台所諦めてなかったのか? カリーそんなに作らないぜ?」
 間の抜けたようにラファルグの口は半開きになっている。ショウは首を振った。
「おいらポワンの料理、興味あるんよ。それで少しスパイスが挽ければいいたい」
「あーそっか……」
 人のいいラファルグは娘だらけの台所を見回しはじめた。その中で活発そうな歳の近い女性を見つけ、親しげに話しかけた。女性はターバンを巻いているショウをもの珍しそうに見ながら、最後ラファルグにうなづいた。
 ショウにはふたりの会話が聞き取れなかった。ブリンガル語だったからだ。思えば台所に十人ほど働いていながら内容がいまいち頭に入ってこなかった。
 一抹の不安がよぎった。
「もしかして、台所に共通語話せる人おらん? ポワン含めて」
「ポワンさんはまったく話せねえけど、二、三人話せるよ。会話になるのはマリアンヌだけだけどな」
「マリアンヌ?」
「ダルト……家政婦直属の女中だよ。彼女にあいだに入ってもらうんだ。オレなんかより権力あるからさ」
 そう言ってラファルグは台所の出口に向かった。ショウもあとに続く。
「『あいだに入ってもらう』って?」
 廊下に出たラファルグは立ち止まって、ショウに意味ありげな微笑みを見せた。
「寝起きは機嫌が悪いんだよ、ポワンさん」
 ショウは隻眼を見開いた。自分は今とても恐ろしく危険なところに行こうとしている。
 ラファルグはブリンガル語でなにかを呟きながら頭をかいた。美青年なのに近寄りやすいのは飾らないからだろう。
 ショウは小走りでラファルグの歩幅についていった。
 シェフ・ポワンの寝室に近づくとなにやら言い争う声が聞こえてきた。どうやらシェフの不機嫌な寝起きの犠牲者が中にいるようだ。
「園丁“さま”と言い争ってるみてえだな」
 眉をひそめてラファルグが言う。園丁に敬称をつけたということは、ポルラム邸では屋外使用人のほうが屋内よりすこぶる誇り高いのだ。
「なんで園丁と?」
「野菜の話じゃねえの? 屋外さまや家政婦はオレらと違ってポワンさんに物怖じしねえからな」
「今日は引き返したほうがいいネ。ポワンさんにはワタシから言っておきマス」
 ふたりが振り向くと、小柄で目のきつい女中が腕組みをして立っていた。彼女は異国人を顔色ひとつ変えずに見つめた。
「ショウ。食品室女中のモネです、よろしく。無事、台所に採用されたらワタシ通訳スル。でもラファルグ、ショウは食品室のほうが合う違うネ? ダルトワさんに話すべきヨ」
 モネは表情から察するに無機質な口調で話しているようだが、嫌ではなかった。不完全な共通語のほうが気になるからだ。
「食品室?」
 小首をかしげた。ショウとモネはラファルグが歩いていく後ろをなんとなく着いていった。
「食品室、ハーブの薬作るネ。ハーブの調合、スパイス挽きと似てるデショ? ジャムやピクルスも作るネ。それにダルトワさん、元コックなのヨ。食品室ならダルトワさんとワタシ共通語話せるネ」
 ショウはうなづきながら肯定的に聞いた。
「そこもよさそうやね! ダルトワって?」
「ダルトワ“さん”。執事と家政婦と料理人には敬称を付けるんだ。この三人が屋内使用人の頂点だからな」
「知らんかった。頂点って女主人直属なん?」
 ザキルカとの秘密の約束を思い出して、ショウは聞いた。
「シェフ・ポワンは直属違うネ。独立ネ。ポルラム邸の魔王ネ」
 モネはポワンを語るときだけ感情がこもり大げさになる。どうやら彼はポルラム邸の屋内使用人たちから、ひどく恐れられているらしい。
「独立ってポワンさん、女主人と接点無いと?」
「ハンさまはポワンさんにまかせっきりだからな。たまに献立の打ち合わせがあるけど、うち晩餐会とかねえから」
「そうなんね」
 台所で働くとハンを探ることが難しくなるようだ。
「うちは女主人が少し変わってて、だから一番の直属は執事のソーンさん。次が家政婦のダルトワさんかな?」
「ダルトワさん、ハンさまにも強いネ。屋内最強ネ」
 家政婦ダルトワ。台所でもダルトワの部下モネが通訳につくから、まったくハンに繋がらないことはないのだ。食品室ならなおのこと。
 しかし、執事に近づいたほうがハンに一番近くなる。貧乏から脱却したいカクタス人は、スパイの報酬と憧れのシェフを天秤にかけて真剣に悩みはじめた。
「ショウ、台所入っても掃除と皿洗いしかやらせてもらえない思うネ。食品室で働けばいい思うヨ」
「いやいや、食品室も無理だろ。ダルトワさんとおまえで十分足りてるだろ? こっちは死ぬほど足りねえんだよ! ショウ、小姓になれよ。給仕とポワンさんのブーツ磨きが待ってるぞ」
 ショウは顔を上げた。そして青い目をみはる。
「ブーツ磨き? 小姓ってなんね? 給仕以外もあるとね?」
 疑問を並べ立てている途中で、モネは拳を作り平手にぽんと打った。
「その手があったネ!」
 一人で納得したモネはショウたちから離れてどこかへ行ってしまった。突然のできごとに呆然となる。
「え? なんなん、ラファルグ?」
 がたいのよい従僕は少年に向き直る。
「お前は小姓になるしかないんだ、ショウ」
 ラファルグはショウの両肩をがっしと掴んで情熱的な眼差しを送った。ショウは頬を染めた。
「何でも屋だ。オレの部下をやりながら邸内の雑用に走り回るんだ」
 隻眼が輝いた。
――これならスパイをやりながら料理に関われる! しかもラファルグと一緒!
「やる! やるよ、おいら! 小姓ってやつを!」
「よっし、決まりだな! なにがなんでも雇ってもらえるようにオレがなんとかしてやるからな」
 綿の白手袋をした大きな手がショウのターバン頭を擦りつけるように撫でた。ふたりは顔を見合わせて思いっきり笑った。
 上手くいきすぎて、嫌な予感がしないでもないが。

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