-4-

 一個の目を左から右に動かした。
 斜め右前に座るポルラム邸の執事ソーンはまだ横顔しか見せていないが、印象的な美青年である。ここであまり驚かないのは横顔がうつむいているのと、彼より先にラファルグを見ていたからだ。
 ザキルカの愛する美しいポルラム邸は――前当主ピーター・ポルラムは――『キメラ』庭園どころか、奥深くに珍しい瞳の女主人や稀に見る美青年をふたりも所有していたのだ。
 ポルラム邸はまるでピーターの宝箱。女主人の瞳とふたりの美青年は錠のかかった鳥かごに大事にしまってあるもののようだった。
「どうしてポルラム邸で働こうと思ったのですか、カミルファンさん」
 素っ気なく執事はたずねた。彼はわざと冷たい態度をとっている。モネの板についた無機質に比べたら、ソーンの淡々とした口調は取って付けたようにしか見えなかった。
 ソーンはカクタス人であるショウを警戒していた。
 軽はずみな返答にならぬよう気をつけなければ。特にザキルカについてはスパイを予感させるため、絶対に触れてはいけない。
 少し沈黙してショウは答えた。
「ポワンさんの台所で働きたいけん、ポルラム邸来ました。アンリ・ポワン、カクタスでも有名ですたい。おいら、本来、スパイス挽きなんですばい」
「でもよ。台所より人手が足りないのはこっちだぜ? ソーンさん。だからオレ、ショウに小姓を提案したんだ。正しいだろ?」
 ラファルグが続けざまに言葉を補い、小姓への道を助けてくれた。
「足りないからだれでもいいというわけではないよ、ラファルグ」
 執事ソーンは初めて顔をこちらへ向けた。最初にラファルグ、次に隣のショウを見る。
 またやられてしまった! ショウは作った笑いを引きつらせた。ラファルグ同様、ソーンの顔に見惚れてしまったのだ。
 ソーンはラファルグとは違う方向に完璧な美青年であった。
 落ちついた雰囲気からしてラファルグと同じ二十代後半だろう。しかし年齢に反して彼は顔立ちに無垢な少年のあどけなさを残していた。そして、彼は性別を感じさせなかった。しなやかな眉や長く繊細なまつ毛、優美な曲線を描く鼻筋は“美女”の特徴である。
 このままだと年齢も性別も、存在さえも見失うところだ。ソーンがこの世の青年なのだと理解できるのは、音楽的な絶妙に低い男声――ラファルグより高いが、自分やザキルカより低い――のおかげであった。
 わずか五秒程度見つめただけなのに、陶酔の境地は果てしなく広がった。ああ、彼が微笑みかけてくれたらもっと幸せになれるだろう!
 残念なことに、ソーンはふたたび横顔になってうつむいてしまった。
「小姓は僕とラファルグの命令で動くことにな――あなたは前当主が亡くなったときに従僕が五人辞めたことを知っていますか?」
 銀髪の美人執事は、話しながら別の言葉が浮かんだらしい。質問は慎重に変えられた。
「いいえ、知らんかったです。たまたま人手不足のところにおいら来たん、偶然たい」
 半分嘘をついた。人手不足の話はザキルカから聞いていた。しかし従僕が辞めたことと自分は無関係だ。彼らについて、辞めた理由も顔も名前も何もかも知らされなかったのだから。ショウはにこりと笑った。
 ソーンは書き物机に両肘をつき、重ねた手の甲で口もとを隠した。憂鬱そうで悩ましげなその仕草が、絹のような女顔をより引き立てた。
 次に彼がおもてを見せたとき、不安な表情がはっきり見て取れた。
「あなたは……お嬢さまや僕とラファルグを売り飛ばしたりしませんよね?」
「えっ!」
 単刀直入な質問だった。そして的を得ている――。人間を審美し値踏みする自分の癖を、ソーンは見抜いたのだろうか。ショウはひどく動揺した。
 ラファルグがショウからやや距離を置いた気がした。
「まさか! ソーンさん、ショウをもっと信用してやってください」
 隣からラファルグの声が飛んで、ほっとする。彼は自分を微塵も疑っていなかったのだ。
 しかし身構えるソーンに対して、ラファルグはかなり無防備である。ショウは仮定した。陽気なラファルグは閉じられた環境で育った世間知らずで、陰鬱なソーンは人並み以上に不幸な人生を歩んできたのかもしれないと。
「おいら真面目なスパイス挽きたい! そんなことせんばい!」
「本当に? カクタスでは高値で取引されているでしょう。毎日目にしていると、欲望に目が眩んでしまうこともあるのでは?」
「ソーンさん、人身売買より銀器をくすねるほうが簡単ですよ。まず、そっちを注意してくださいよ」
――その方向も駄目だろ、ラファルグ!
 ショウはめいっぱい首を振って否定した。
「お、おいら副収入もあるき、金には困っちょらんですたい」
「副収入とはなんですか?」
 ショウは口もとをおさえた。うっかりした。スパイの報酬だなんて言えるわけがない。そうしたらおしまいだ。
「髪の毛、売ってます。切っても伸びるやん」
「男の髪なんて、高く売れますか?」
 ソーンの席に近寄った。ターバンをほどき、束ねた自慢の長い髪をすくって見せた。艶のある真っ直ぐで健康的な髪だ。
「ピクネシア公女殿下と似た色やき、こっちでは高く売れるばい」
「おお! ほら、ソーンさん。ショウは金目当てでうちに来たんじゃねえって。純粋にシェフ・ポワンに憧れてきたんだよ。な、ショウ?」
 ターバンに隠していた売り物の髪に、ラファルグは士気を高揚させた。ふたりでソーンの説得を試みる。
 だが、ソーンの鬱屈した疑念はそう簡単に晴れやしなかったのだ。
「髪の毛を売る発想が人身売買から来ているように思われますが」
「ソーンさん! いい加減にしてください!」
 ついにラファルグは上司に向かい大声を出した。ソーンは椅子の背もたれに力無く寄りかかって明るい瞳を見開いた。涙がひとすじ頬をつたった。
 ショウは違和感に直感した。
 執事ソーンは完璧な美青年なんかじゃない。
「ハンさまはショウに好感をもたれていました。あなたに面接を頼んだのはショウの共通語が聞き取りづらいからです。でもオレにはちゃんと伝わりますから、なんら支障はございません。でしょう?」
「きみの言葉は……信用できない、ラファルグ。きみには下心があるはずだから」
 つぶやいて、ソーンは銀色のまつ毛を頬に重ねた。
「そう。なら、ハンさまに直接お聞きしたらどうですか。オレはただ、人手が足りないからショウを推してるだけだよ」
 ラファルグはまだ続けてなにか言いたいのを、我慢して飲みこんだようだった。彼のソーンへの配慮と心労が察せられた。
「……分かった。では、なにかあったらきみがすべて責任を取れ」
 ソーンは満面の笑みを作った。口もとが少し震えていた。顔が青い。
「ソーンさん、だいじょうぶですか?」
「薬があるからだいじょうぶです。ラファルグ、紅茶を用意してくれないか。ひと息つきたい」
 ラファルグは押し殺した瞳をソーンにしばらく向けてから、退室した。
 執事は椅子から立ちあがってゆっくり歩み、木製のシンクの前でしゃがんだ。一番下の引き出しを開け、薬びんと薬さじを取り出す。一瞬見えた引き出しの中には似たような小びんが大量に入っていた。ひんぱんに使うため、備蓄しているのだろうか。
 書き物机に戻って、ソーンは小びんのふたを開けにかかった。しなやかな白手袋の指先が、震えて少しまごついていた。
「アヘンチンキ……か」
 ラベルに書いてあった共通語の文字を読みあげると、ソーンは動揺した。
「発作を抑えるための薬だよ」
「知ってます。カクタスにもあるき」
 薬さじですくって飲むと、いかがわしい発作は安定したようだ。効き目がやけに早いのは、おそらく彼の発作は精神的な要素が大きいため。
「万能薬だからね。僕はこれがないと生きていけないんだ」
「なんですぐ飲まんかったん」
「ちょっとね。……前当主が阿片中毒者だったから、阿片チンキに抵抗がある使用人もいて。ラファルグもその一人で」
 ザキルカは、「ピーター・ポルラムが酒と阿片に溺れた」と言っていた。だから、ポルラム邸にとって――ピーターと関わりのある者たちにとって阿片は重要な意味を持っているはず。当然、彼らは阿片中毒の症状がどういうものなのか一目で分かるだろう。
 いや、しかし、それではおかしい。ショウは頭に浮かんでいるものを払拭した。
 ソーンが阿片中毒者ならば、執事になれるわけがないのだ。彼の発作は疲労のせい。きっとそう。
「さっきはすまなかったね、ショウ。間違いがあってはならないと思って慎重になっていたんだ。女主人をお守りするのが僕の責務だからね。ラファルグも貴重な男手だし」
 阿片チンキの服用前はあんなに疑り深かったのに、まるで別人になったかのようにソーンは急に優しくなった。わざとらしかった。
「こっちにおいで、ショウ」
 ソーンは青緑色の瞳を細め、中低音の深みある声で誘った。
 優しく接することで裏切れないようにするのだろうか。ショウは身構えた。――彼は「悪い執事」だ。
「命令だ。こっちに来なさい」
 理不尽にほだされると頭では分かっているのに、その声はあまりに魅力的で吸いこまれてしまう。なんてふくよかなバリトン!
 喪に服す黒いスーツは上質で、ソーンの身体によく似合っている。似合わない服を着る女主人よりもずっと洗練されていた。そして、お仕着せのラファルグにはない紳士の気品を彼は真に備えていた。
 ああ、透き通ったターコイズ色の両眼がこちらを見ている!
「きみの髪の毛をもう一度見せてくれないか」
 ショウはソーンの前でターバンをほどいた。緑がかったブロンドの髪にソーンは長いまつ毛をしばたたかせた。
「なるほど珍しい色だ。素手で触れてみたいけど、僕の手は荒れているから」
 そう言いながら、ソーンは白手袋の指でショウの長い髪をとかす。手つきが柔らかく、艶めかしい。
――おかしくなりそうだ。
 力が抜けてまぶたを閉じかけたとき、口もとに温かな息がかかってくちびるは塞がれた。ショウは隻眼を見開いた。
「な、なにしよるん!」
 くちびるが離れると、ショウは顔を真っ赤にした。くちびるを手の甲でおさえて目をふせる。身体中が熱っぽい。
 いたずらっぽく笑いながら、ソーンは湿り気のあるささやきをショウの耳もとに残した。
「ふたりだけの秘密だよ」
「はい」
 少年は頭から冷静さを失って、ぼんやりと答えた。
 ほんとうに「悪い執事」だ。プラチナブロンドの短いくせっ毛が愛らしかった。

Return to Top ↑