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 ラファルグはショウと執事がふたりっきりになっていた時間のことを聞いてこなかった。
「ソーンさんも機嫌が直ったようだしよかったな。一刻も早く即戦力になってくれよ、ショウ!」
 ラファルグの端正な顔には一点の曇りもなかった。彼は表裏の無いまっすぐな青年なのだ。
 ショウは悪い執事としたことを思い出して、顔を赤らめた。純白のラファルグには想像もできない世界であろう。彼にはこれからも知らないでいてほしい。うぶなままでいてほしい。執事が彼に手を出さないよう、彼を汚さないようにショウは願った。
 ラファルグはショウの顔を見ずにどんどん歩いていった。
 ――もしショウが観賞用奴隷商人の息子だと知れたら――スパイだと知れたら――信頼関係は崩れ、ラファルグは二度と微笑みかけてくれないかもしれない。
 太ももあたりに揺れるふたまたの裾を追いかけながら、少しの不安が頭をよぎった。
――屋敷の華と屋敷のスパイは、相容れない運命にあるのかしら。
 覚悟はできている。でも自分の正体がばれる日までは……その日までは、彼に信用されながら無防備な笑顔を見ていたかった。
 歩調に合わせてダーティーブロンドのくせ毛がはねる。ショウは幸せなときをかみしめていた。
 どういうわけかラファルグは使用人専用の裏階段を使わずに、赤絨毯の敷かれた大階段をあがっていった。
 踊り場には歴史の浅いポルラム家の肖像画が飾ってあった。
 そのうちの一人はハン・ヘリオス・ポルラムだとすぐ分かった。金髪の三人に対して彼女の黒髪は目立っていた――というか、浮いていた。ハンは養子で、それ以前に人間ではないのだから当然であろう。しかしショウは違和感を覚えた。
「これ、女主人と亡くなったご家族やろ?」
 差す指を横一文字に滑らせてラファルグの顔を見た。
「そ。ハンさまのご家族も紹介しようと思ってな。ハンさまのとなりが前当主のピーターさま」
 ピーター・ポルラムの眩しい髪色に目を奪われた。磨きあげた黄金のような髪は、威厳があり屋敷の当主にふさわしいものだった。
「去年の秋に亡くなったんだけど、この絵は五、六年くれえ前かな。やつれる前」
「美形やね」
 ショウはピーター・ポルラムの肖像画とラファルグを交互に見る。
「なんとなく似てるだろ、オレに」
 苦々しげに言って、ラファルグは肩をすくめた。
「娘のユリエさまほどじゃねえけど。見ろよ。髪の毛といい、いかついあごといい、ピーターさまと瓜ふたつだったらしいぜ。一番最初に亡くなったんだ。八年前だ」
 ラファルグが目線を向けた先――ハンから一番離れた左端には、ハンと年齢が変わらないように見える少女の絵があった。早熟した雰囲気はあるが、十代前半くらいだろう。彼女の豊かな金髪は前当主のそれをもっとも濃く受け継いでいた。
 無邪気に笑むユリエの肖像画には、幸せな未来があふれていた。並べば現女主人が霞んでしまうほどに。
「ハンさまとユリエさまは義理の姉妹やろ。仲は良かったん?」
 ショウはありがちな質問を率直に投げた。義理の姉妹ゆえの確執。「ハンはユリエの影だった」と訝しむのは自分だけではないはずだ。
「知らねえ。オレが来たのはユリエさまが亡くなったあとだから」
 意外にも返事は素っ気なかった。
 ショウも執着するほどではないので、からっと興味を次に移す。
 ピーターとユリエのあいだにある、左から二番目の肖像画には甘やかなブロンドの貴婦人が描かれていた。
「この貴婦人はユリエさまの母親か。ピーター・ポルラム夫人やろ?」
「ああ。二番目に亡くなったケイト奥さまだ。娘のあとを追うように、一年後お亡くなりになった。……不幸な女性だった」
 肖像画のケイトはまるで死ぬことを予期していたかのように陰鬱としていた。豪奢なドレス姿にもかかわらず。悲劇のヒロインにも見え、ハンに通じるひ弱い感じがあった。
 ひととおり紹介を終えたラファルグは、四枚の絵を見つめてしんみりしている。
「陰気な家族やな」
 眉根を寄せて、簡潔な感想を述べた。
「女主人がひとり生き残ったんやな」
「いや、ソーンさんも」
 ソーン? 隻眼を見開き、ショウは息を止めた。警告するザキルカの声が脳裏によみがえる。
――ポルラム邸を乗っ取った悪い執事。
「危うくソーンさんに騙されるとこやった!」
 浮ついた記憶を消し飛ばすべく、ショウは首を振った。
「どういうことだよ、ショウ?」
「さっき、ソーンさんにキスされた」
「まじかよ……」
 従僕は上司に対して絶句した。その沈黙には色々な意味が含まれているようだ。
「カクタスには同性愛者が多いって本当か?」
 ときが止まった。ラファルグは非難にもとれる疑問を発して、目を背けている。
――誤解だ。自分は同性愛者ではなく両性愛者だ!
 ショウは心の中で叫び、首を横に振りまくった。
 とにかくまずい、このままでは。ずっと彼の微笑みを見つめていたいのに。
 口を引き結び、この場をしのぐ打開策を瞬時に捻り出す。
「ソーンさんが強引に迫ってきたんよ」
「……ここでは同性愛は犯罪だからな。気をつけろよ」
 口調から、彼自身がショウを警戒しているわけではないようだ。やはり無防備で可愛いやつ。ショウはひとまずほっとする。
 ラファルグは下を向きながら物思いにふけっていた。なにを思いわずらっているのだろう。ソーンが罪を犯していることが心配なのだろうか?
 頬にかかる髪をかきあげて、指を髪から抜ききる前にふと止めた。
――この男、純粋ではない。
 従僕ラファルグはポルラム邸の後ろ暗い秘密を知っているのだ。彼からザキルカの知りたい情報が聞き出せるかもしれなかった。
 ポルラム家の末裔ハン・ヘリオス・ポルラムのこと、そして彼女を取り巻く人々――とりわけザキルカの思惑をショウは見極めたかった。
「ラファルグさん、そんなところでさぼって! ソーンさんが探してましたよ。晩餐の給仕」
 上階から声をかけたのは、女中の制服とは違う喪服を着た少女だった。そばかすが愛らしい美人だ。
「分かった。すぐ行くよ。ショウ、続きは寝室で。これから忙殺される」
 寝室の響きも忙殺予告もショウの心を揺さぶらなかった。
 ラファルグの少女を見つめる瞳は優しかった。彼は彼女に恋をしている。まれに見る美青年が、そこそこ顔立ちがよいだけの少女に惹かれているのだ。その事実はショウの心をひどく乱した。
 去っていく姿が見えなくなるまで、ラファルグは彼女にくびったけだった。口もとにはほのかな微笑が浮かんでいた。彼は幸せなのだ。
 彼の最上の微笑みはショウには向けられない。彼女に全部向けられるのだ。
 ラファルグの前身頃で輝く真鍮のボタンをいじるのに手を滑らせたふりをして、彼の胸を指で突いた。
「ショウ?」
「彼女、可愛いね。共通語もきれいやん。育ちよさそう」
 ボタンをいじりながら、ひがみっぽく言った。ラファルグは幸せだから、ショウの嫉妬心など気付かないだろうけど。
「ああ、イェリムちゃんは侍女だからな。従僕と同じで見栄えがよくないと」
「侍女? 侍女ってだれの?」
「だれのって、一人しかいないだろ? ハン・ヘリオス・ポルラムさまだよ」
 ポルラム邸の中に、無数に張り巡らされた蜘蛛の糸が見えた。
 ラファルグはハンの侍女に恋をしている。それはショウがハンに繋がる道がもう一本増えたということ。
 台所で働いても、小姓になっても、どこに行っても女主人に繋がってしまう!
 偶然とは思えない。
 ポルラム邸は今も片眼鏡ごしの青い瞳に見つめられているのだ。あの執拗なラピス・ラズリの眼差しに。

 ベッドに腰かけて髪をとかしながら、ショウは恍惚に浸っていた。
 給仕のとき、雑用に忙殺されながらラファルグのふくらはぎを何度も盗み見た。これから夜が来るたびにお目にかかれるのだ。従僕の部下になってよかった。
 お仕着せ姿の従僕はよいものだ。薄手のシルクごしにラファルグのふくらはぎの形がはっきり分かった。細すぎず、ほどよく締まったふくらはぎだった。
 あんなに官能をくすぐるふくらはぎなのに、女主人と執事は見向きもしなかった。彼らの目は節穴だろうか? ふたりともラファルグには興味が無いようだった。
 それは注目すべきことでもあった。晩餐の場で女主人の世界には執事しかいないようだった。それもそのはず、ソーンの完璧な美貌と魅惑的なバリトンが女主人の心を射止めないはずはない。ソーンの胸中は分からないが、彼が女主人を操作してポルラム邸を乗っ取るのはわけないことだろう。
「おい、ショウ。いつまでとかしてんだよ」
 低い声にショウは顔を上げた。質素な寝間着の相方は、ちょっと残念である。ラファルグは従僕の制服を着ているほうが好きだ。
「その髪……女じゃあるまいし。切っちまえ」
「これは売りもんや! 副収入ばい」
「副収入、ほかにもあるだろ?」
 となりに腰かけたラファルグはベッドに手をついて前のめりになり、ショウに顔を近づけた。鼻と鼻がつきそうだ。下心いっぱいの少年の心臓が暴れ出す。
「ど、同性愛は犯罪やろ?」
「ばっか! 両隣りは空き部屋だし、だれも聞いてねえよ。白状しろよ」
 ひょいと隻眼のすぐ前に金貨が現れた。その金貨には見覚えがあった。
「カクタスの貨幣や! しかもそれ、ラクダが一頭買えるやつばい!」
――どうしてラファルグが持っているのかしら?
 手につかもうとすると、金貨の価値を知ったラファルグはそれをショウから遠ざけた。
「やらねえ! これ、ザキルカさまが二か月前にオレにくれたんだ。そしたら今日おまえが現れた」
「どういうこと?」
「なるほど『ポルラム屋敷は私の手におちた』らしい。こんなにうまくいくとは」
 ラファルグは声を出さずおかしそうに笑った。
「オレはおまえをずっと待ってた。おまえは身動きできねえオレの代わりに動いてくれる。だろ? ショウ」
 端正な顔が間近で親しげに微笑みかける。
「――おまえもザキルカから副収入もらっとるんね?」
「まあな。ザキルカさまがオレとおまえを引き合わせたんだ。こうして相部屋になったのは偶然じゃねえ」
 彼は大きな手で握手を求めてきた。勤務中、白手袋に隠されていた手のひらは過酷な目に遭っているようだった。触れて握られるとごわごわしていた。
「分からねえことがあったら聞いてくれよ。出来るかぎり協力するからよ。あとさ……」
 美青年は大柄な体躯に似合わず、恥ずかしそうに目を背けた。
「なんね?」
「ふたりっきりのときはピエールって呼んでくれねえかな」
 薄暗い部屋でショウは顔を赤らめた。ピエール・ラファルグの深い瞳に熱を感じて、動揺してしまう。思わずよろめいて、掛布団の上に片手をついた。
「自分の名前、わりと気に入ってんだ。前当主の名前がピーターだったから、だれも呼んでくれなくて……ずっと孤独で……。さみしかったんだ。相部屋のよしみで、友達になってくんねえかな?」
 ささやくような弱い声が冷たい夜の部屋に溶け込んだ。ラファルグは夜の砂漠にひとり取り残され、さめざめと泣く子どものようだった。
 抱きしめたいところをぐっと耐える。その代わりに彼の肩に腕を回した。
「あたりまえや、ピエール。おまえがスパイなん、邸で孤立しとるから?」
 ピエールは肩をすくめて苦笑した。
「違っげえよ。金。乞食になってカクタス人にさらわれるのはごめんだからな」
 わざと明るく振る舞っているのでその言動が嘘だと分かる。彼を安心させるように、ショウは回した手で肩をぽんぽんと叩いた。
「おいらもこの屋敷では孤独やき、信頼できるのはおまえだけなんよ。ピエール」
 もう後戻りはできない。
 ザキルカのためにも。ピエールのためにも。
 ポルラム邸の実態をあばくのだ。
 ピエールがろうそくの火を吹き消すと、寝室は真っ暗闇になった。となりのベッドに彼が移ったので、ショウも掛布団の下に入った。布団の中は冷たくて、しばらく寝付けそうにない。
「あのさ、ショウ。肖像画の続きだけど、ポルラム邸には死がとりついてると思わねえか? 次は、ハンさまかソーンさんかどちらかが死ぬんだ」
「まさか」
「ユリエさまと奥さまが亡くなって、旦那さまが亡くなったとき、生き残ったふたりをだれもが疑った」
「ハンとソーンか」
 ショウはザキルカのハンに対する警告とソーンが自分にしたことを思い出していた。
 ピーター・ポルラムは“美術品”ハン・ヘリオス・ポルラムの魅力に取りつかれて、酒と阿片に溺れたのだという。しかし、人を狂わすほどの美貌が彼女に備わっているとは思えなかった。ショウは自分の審美眼に絶対の自信を持っていた。
 それにハンには人を殺した女の顔など微塵も感じられなかった。あどけなさが残るばかりだ。
 ソーンなら違和感がないのに。彼ならば、人を破滅に追いやれる。ピーターは彼を美しいとは思わなかったのだろうか。喪服の不老少女がピーターの理想ならば、ソーンの美しさの陰にある阿片チンキだって――
「ピエール。ソーンさんが阿片チンキに依存しとるん、ピーター・ポルラムの阿片中毒とは関係ないと?」
 長いため息をピエールは吐いた。そして唇がさびついて重たいかのように、やっとのことで言葉を紡ぎだした。
「あるじの不品行は暗黙にしとくのが決まりだから……ここだけの話な。旦那さまは同性愛の罪を犯していた。同性のソーンさんを愛人にしてたんだよ。ソーンさんは奥さまが亡くなってからずっと、だれよりも旦那さまのそばにいた。だから阿片に蝕まれてても不思議じゃあねえ」
「やっぱり。ソーンや、間違いない。ピーター・ポルラムを破滅に追いやったん、ソーンばい」
「そんなに簡単じゃねえよ。ザキルカさまがオレたちを雇うのは」
「それじゃ、なんだって言うんよ」
「知らねえ。……おやすみ」
 相方がさっさと寝てしまったので、ショウもまぶたを閉じた。
 少女の姿をした女主人と艶やかな青年執事、そして亡くなった三人の家族。かれらはポルラム邸をひきたてる美の要素であろう。ポルラム邸はかれらの生血を吸い、かれらの死を経るごとにどんどん美しくなっていく、美のけだもの。まるで阿片。
 ここは悪魔が見せる白昼夢の中だ。錠付きの宝石箱の中で夢幻に迷いこみ、溺れて抜け出せなくなるかもしれない。
 コンパートメントの覗き窓から後頭部に銃口を突き付けられたときの恐ろしい感触がよみがえり、背筋が冷え切ってショウは安眠できなかった。

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