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「お待ちしておりました、ハンさま。採血はどうでした?」
「いつもどおりよ」
 オリアーヌは『ピクネシア人形』を縫う手をとめて、女主人に笑顔を向けた。しかし女主人は軽く微笑むだけで、すぐに顔を逸らした。オリアーヌはいったん小首をかしげたが、気のせいだろうと思いなおした。裁縫道具一式を手提げ袋に素早くしまう。
――あなた、気がついていないのね。
 落ち着いたブロンドの色味とは裏腹に、昔からどこか抜けていた。前髪の流れから一束はぐれて変な方向に飛び出しているオリアーヌの寝癖を、ハンはふびんなものを見るように見つめた。泣きぼくろのある垂れ目とぽってりした唇は色っぽく、黙っていれば美人である。しかし彼女は噂話と風刺漫画をこよなく愛する、婚期を逃したがさつな娘。普通の貴婦人ならば、オリアーヌを侍女として連れていくことなどまずないだろう。
 だが、ハンの侍女としては適任だった。オリアーヌ・ダルコには「世間でよく見られたい」という欲求があまりないのだ。そのため、不道徳なものに対して寛容かつ柔軟であった。不気味なエマ・ホールデン博士と親しくなったのも、彼女の性質が型破りだからこそ。
 そして――これが一番の理由であるが――ポルラム邸で起こった“不自然な”三度の死にも、オリアーヌは冷静に適応することができた。――ポルラム邸に閉じこめられた彼女にとって、ポルラム邸の異常性を眺めるのが唯一の楽しみだったからかもしれないが。
 オリアーヌは女主人の光沢ある黒のタフタを脱がせて、ペチコートとバッスルを外し、コルセットの紐を解いた。その手際のよさは長い侍女生活でつちかわれたものだ。
 ハンはシュミーズの下にドロワーズだけといった身軽な下着姿になった。いつもならくるりと一回転してみせるところだが、今日はただそこにたたずむだけである。
「もうよいわ、オリアーヌ。出ていって」
 外した黒玉の耳飾りを手に持たせて、ハンは侍女に退出をうながした。
 オリアーヌはまごまごしていて、出ていくのに時間がかかっていた。
「いいじゃない。すみで縫い物していれば。邪魔にはならないわさ」
 エマは満足げに研究室を見回した。室内はあいかわらず物が多いものの、きれいに整頓されていた。サイやオリアーヌが片づけているのだ。書類が散乱し、酒瓶が転がっていたころをハンは懐かしく思った。
「先生、オリアーヌとおしゃべりするじゃない。いま、わたしは機嫌がわるいの。静かにしてほしいの。サイちゃん、オリアーヌを連れて適当なところへ行ってくれない?」
 そう言ってハンがため息をついたので、オリアーヌはエマの助手に連れられてそそくさと出ていった。
 エマとふたりっきりになった研究室は空気の悪い静寂に包まれた。
 ぶすっとしているハンに背を向けて、エマは鼻歌混じりで検査用具を取り出しはじめる。
「まったく、あんたが子どもっぽいのは今に始まったことじゃないでしょう」
 それは独り言となって静寂に消えた。
 エマはハンの首もとに毛布をかけた。固くて寝ごごちの悪いベッドに寝かされていると、自分が『キメラ』であることを――人間ではないことを嫌でも思い知らされた。ハンは悪夢にうなされているような顔で目をつむっていた。
「分かった! おままごとでしょう?」
 意味が解らない。つぶらな黄色の瞳がぱちりと開いた。エマは小瓶を振って薬液を混ぜていた。
「とつぜんなあに?」
「『ピクネシア人形』よー」
 心臓がどきんと脈打った。ビスクドール――
「あんた、ピクネシアさまみたいになりたくてお人形遊びしてるんでしょう?」
 的外れな質問にほっとして、ハンはのんきなエマに微笑みを見せた。
 だがもう一回その質問を脳内で繰り返してみると、年頃の少女は顔を真っ赤にした。
「ちがうわよ! わたし、もうすぐ二十一歳だもの! お人形あそびだなんて!」
 いつもの調子で大人ぶって頬を膨らませるハンを見て、エマは腹の底から笑い声を立てた。ハンはいっそう赤くなる。
「ただ抱くの。『よちよち』って」
「それを世間ではおままごとというんだわさ」
 注射針を取り出してエマはにんまりした。
 被験者は軽く目をふせる。
「『ピクネシア人形』を乳母車にのせてあげるの。赤ちゃんみたいでしょう――本物の赤ちゃんの大きさで作らせているから」
 小さい子が遊ぶおままごととは違うのだ。ハンはエマを見上げた。エマの白い顔はより青ざめたようだった。
「エマ先生。わたし、赤ちゃんがほしい。産みたいのよ!」
 ハンは子どものままの腹部をさすった。――中身が人間とは違う。ハンの顔は悲痛に歪む。
「馬鹿言うんじゃないわよ」
 注射器がかちゃりと置かれた。エマは前のめりになって手をついた。ハンを見据えて眼鏡の位置を直す。
「あんたには生殖機能が無い。つけていない。あんたは不老不死人間の途中過程。不完全な種なのよ。――産まなくても母親にはなれるわ。養子でももらって――ペットじゃだめなの?」
「……産みたいの。先生、わたしに子宮と卵巣をつけてほしい。わたし、人間になりたいの」
 カーグとの温かな家庭と粉々に割れたビスクドールの映像がまぶたの裏を瞬時に駆け抜けていった。
「おねがい。人間になりたいのよ」
――化け物になんかなりたくない。
 目に涙をためてハンは訴えた。
 こめかみに手を添えてうつむき、エマはため息をついた。腕を組む。彼女は説得する言葉を考えているのだ――いつものように研究者のマニュアルを。
 指を折り曲げ、震えながら握りしめた。しずくが頬をつたい落ちて枕を濡らす。あきらめの気持ちが少し湧いてきて、ハンはうつろな表情になった。
「ピーターはあんたが生まれたとき……あんたを失敗作だと判断し、生殖機能を絶った。『エリクシール』――不老不死の霊薬――だなんて呼ぶけれど、言ってしまえば失敗作なのよ。失敗作!」
 エマはもう一度ため息をついてから、ひとおもいに強く言った。
「まったくこの子は。女主人になって欲が出たのかしら。あんたは『キメラ』なの。受け入れなさい」
 瞳は水面に映る朧月のごとく、静かに揺らめいた。枕に顔をうつぶして「頭から何もかも消したい」と願った。
「わたしは普通のことを望んでいるのよ? ……どうして……わたしだけ……」
 枕を握りしめた。この世界は暗い。
「重い。重いわ、ハン・ヘリオス・ポルラム。あんたの重圧が私の寿命を縮めるんだわ。そういうことはザキルカに言いなさい。私にはほかにやることがあるんだから」
 エマはハンの管理責任者から外れたとたん、元気になった。今はサイを教育しながら、街で「来たるべき理想の世」に関する講演会を行っているらしい。
 いっぽうザキルカはハンの管理責任を負ってから、疲れているように見えた。
「重いでしょうね、先生。だってわたしは貴重な『エリクシール』だもの、重くて当然なのよ」
 仰向けになって、ハンは捨てるように笑みを吐いた。
「でもね、わたしは『キメラ』だけど、心は人間なのよ。心だけは二十歳の淑女なの」
「厄介だわね」
 白衣の研究者を見つめてハンはまばたきする。無垢な子どもの顔に毒気を浮かべて、彼女は皮肉るように言った。
「わたしを生みだしたのはあなたたちでしょう」

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