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 喪に服す田園屋敷に春の気配が訪れようとしていた。
 温室の薔薇をふんだんに使って贅沢に飾り付けられたアーチから、小柄な淑女は群衆の前に現れた。本日の主役、この屋敷の女主人ハン・ヘリオス・ポルラムである。彼女はあちらこちらに会釈して、新調したばかりのコートを集まった客人に見せびらかした。春めくモーブ色に盛大な拍手が鳴りやまない。
 天候にも恵まれ、ハンの誕生日パーティーは好調な出だしである。会場は色鮮やかな花々が一年中楽しめる、ハンの大好きなポルラム庭園だ。足もとには純白のスノードロップが見渡す限りに広がっていた。
 パーティーにはポルラム邸の使用人一同と領地の村民たち、ほかにはハンと親しい錬金術師のエマとザキルカが呼ばれていた。客人の数は思ったより大規模で、ハンがひとりひとり把握しきれないほどだ。
「いやはや大きくなりましたな。お嬢さま」
 ペガーズ御者のカバネルが山高帽を脱いで会釈する。
「去年も聞いたわ。そのせりふ」
 気が置けないお抱え御者に二十一歳の少女は満面笑顔になった。その横から黄色い声がかかる。
「ハンさま、お誕生日おめでとうございます! 大変お可愛らしゅうございますう」
 侍女のイェリムは恍惚とした表情でスノードロップに佇むハン――自分が仕立てたコートを着ているハン――を見つめている。失笑しながらハンは、
「ありがとう、イェリム。あなたのおかげで素敵なお誕生日が過ごせそうよ」
 コートがよく見えるようハンはイェリムの前で一回転まわってみせた。鮮やかなコートから覗く暗灰色の服喪ドレス――これまたイェリムが今日の日のために仕立ててくれた――の裾が空気を孕み、嵐をゆく帆のようにうねった。
 祝福の言葉を次々浴びせられて悪い気持ちはしなかった。「ついにわたしは女主人として認められたのかしら」とハンは舞い上がる心地である。その中でまだ冷静な頭は群衆にザキルカの姿を探していた。彼を想うと浮ついた心は地に沈むのだった。
 ザキルカは見当たらなかった。けれどハンはザキルカの出席を確信している。ザキルカはハンの管理責任者であるし、ふたりは表向き親友なのだから。
 履きなれないハイ・ヒールで湿った土を踏みしめ、花畑を抜けたハンは浮かれ騒ぐ群衆を一望した。
――このなかのどれほどがわたしを疑っているの?
 どれほどが御愛想を使っているだろう。右から左へと視線を滑らせながら、気がつけばハンは誕生日に相応しくないことを考えていた。
 そのうち燕尾服姿のカーグが目に入り、ハンはすり寄った。
「いかがなさいましたか? お嬢さま」
 よそゆきのお堅い敬語であった。夫の甘い声を欲していたハンは、物足りない顔を誤魔化すため口角を上げた。公の場では執事と女主人である。
「なんでもないわ。無理しないでね」
 給仕に忙しいカーグを見て、邪魔したなと思う。密やかに手を振ってきびすを返すと、ハンの行く手を白髪交じりの紳士が遮った。
 突然現れたこの男をハンはおずおずと見上げた。頭の中は疑問符で一杯だ。
――だれ? このひとを呼んだのは。
「ロロットさん、お久しぶりです」
 後ろからのカーグの声に先を越されて、慌ててハンは自分に会いにきた元執事に会釈する。
「お久しぶりです、ロロットさん。来てくださって嬉しいですわ」
 ひょろりと背の高いロロットは小さなハンを自然と見下ろす形になっていた。それが見下しているように思われて、ハンはこわばる。しかし整えられた髭の口もとに好意的な笑みが現れたので、いくぶんか呼吸は楽になった。
「素晴らしいコートですね。見違えました。私がおりましたころ、ほんの四か月前まで子どものようでしたのに」
「ありがとうございます、ロロットさん。イェリムのおかげですわ」
「イェリム?」
「新しい侍女ですわ」
「ほう」
 この男はハンの侍女のことなどいかにも興味がないふうに答えると、二十年経ってようやく興味を示したみたいにハンをじろじろと見てくる。
「――お嬢さまは言葉も堂々として女主人らしくなってきましたね」
――わたしとカーグを捨てたのではなかったの?
 ハンはくちびるを引き結んだ。かつて執事ロロットの髪は艶やかな黒色をしていた。あのころの品格は、白髪がまばらに混じることでいつの間にか汚くなっていた。
「離れでお暮しになっていたお嬢さまが立派になられて」
 ロロットの威圧的な態度にハンは下を向き、ちぢこまった。お前は「化け物」なんだ、と言われている気がした。この男に再会して、ピーター支配下のポルラム邸で肩身狭く生きていた日々がハンのまぶたに蘇っていた。
「ハンナー! お誕生日おめでとう!」
 飛んできた声に驚いて、ハンは肩を震わせた。年齢不詳の明るい老婆が駆け寄ってくるのに胸を撫で下ろした。エマがロロットとのあいだに入ってくれたら安心である。
 ところがエマは、なんでも連れのサイがいなくなったとかで、カーグを引っ張って探しに行ってしまった。護衛となりうる緩衝材を失い、ハンはますますロロットの前で小さくなった。
 ロロットは眉根を寄せながらエマの後ろ姿を見届けた。
「サイとはあのサイですか? 奴隷を助手にしているのですか、ホールデン博士は」
「あの子はもう奴隷ではありません、ロロットさん。あなたがもうポルラム邸の執事ではないように」
 サイはピーターが連れ込んでいた子どものひとりである。ずば抜けて美少年だったサイのことを、元執事はとてもよく覚えているらしかった。ハンはロロットのそういうところが嫌でたまらなかった。
 どうしてロロットがこの場にいるのだろう。ハンは「どうして」という疑問を飲みこみ、くすぶりながらその場をやり過ごしてロロットと別れた。
 招待した覚えはなかった。ロロットはポルラム邸で嫌われていたからだ。でも、思い当たる節はあった。
 ハンは群衆のなかに洒落こんだザキルカの姿をやっと見つけた。
「ザックさん」
「ハンナさん、お誕生日おめでとうございます」
 黒枠の手紙の件があるので意気込んで話しかけると、ザキルカは呑気な笑顔で握手を求めてくる。ハンは拍子抜けしてしまった。そこにあるのは懐かしい親友の姿だった。
「ありがとう、ザックさん」
 しかしほんわかとした笑顔のなかの眼が笑っていないことに気づく。
「ハンナさん。人類は貴女の誕生日を祝うべきか嘆くべきか悩んでいます」
 やんちゃに握手した手を振りながら、ザキルカの小声は『お悔やみの手紙』そのものであるので、ハンも同じく上辺と内面が分離せざるを得なかった。
「そのコート、不快です。お父上が亡くなってまだ四か月しか経っていないのに、貴女は色のついた服を着るんですね」
 どんちゃん騒ぎのまっただなか、ハンにだけ薄ら笑いが聞こえてくるのだった。体内を闇に浸しながら、ハンは作り笑いを浮かべた。

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