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 女中たちがニシンのスパゲッティを食べている昼下がり、使用人ホールに執事のガッロと従者のウィルソンがやってきた。おしゃべりが止み、女中たちはいつの間にか姿勢を正している。慌ててハンも彼女たちにならった。
 ふたりはいつもザキルカのそばにいる上級使用人で、主人の滞在とともに田園屋敷に移ってきたのだ。混じりけのない白髪頭に長い眉毛が特徴的な執事は上座に腰をおろし、軽く微笑んで「食べながらで結構だ」と手で合図したが女中たちの緊張はほぐれなかった。今は社交シーズン、本来ならば街屋敷にいるはずの男上司である。彼らが顔を見せるだけでも彼女たちには非常事態だった。
「さて、ザキルカ坊ちゃまのご滞在が今日で五日めになるわけだが、なにか事情を知っているものはおらんかね?」
 老年の執事はゆっくりと首をめぐらして、女中ひとりひとりの顔を見る。十一人まんべんなく見ているようで、視線は新参者のハンに一番長く注がれていた。ハンは口からはみ出ているスパゲッティの先をフォークでむぐむぐと押し込み、すました顔を決めた。
 大抵の女中たちは「あたしたち留守番ですから、なにも知りません」としらを切っていた。
「坊ちゃまの気まぐれじゃないんですか? 奥さまとケンカなさったとか」
 それを聞いて執事と従者は顔を見合わせた。女中の面々を見ながら執事は深く重たいため息を吐いて、
「たしかに今回の事件で母子げんかなさっているようだが、それが原因ではないだろう。街の生活が嫌になったわけでもなさそうなのでな。わたしが思うに、坊ちゃまは田園に惹かれる“なにか”を見つけられたのではあるまいか。坊ちゃまにはピーター・ポルラム邸の近所――この田園屋敷のことだ――に住んでしまわれた前例があるからな」
「それなら『田園屋敷の囲い女』です」
 勇気ある女中のひとりがハンに向かって指を差した。執事も従者も女中たちもハンも、その場にいる全員が言い出せずにいた心当たりがついに具現化されたのだ。全員の視線が一斉に集まり、ハンは縮こまる。
 執事はハンを見て怒りも笑いもせず、真顔でうなづいた。
「やはりそうか。しかしハン、きみには悪いが、きみは坊ちゃまの好みとはかけ離れすぎている。赤ん坊のころからお世話しているのでよく分かるのだ。なぜ坊ちゃまがきみを愛人にしたのか、わたしには理解できない。しいて理由を探すなら、きみがポルラム博士の娘だからか」
 ハンは静かに唇を噛んだ。ザキルカは胸の大きな女性が好きだ。さわって確かめなくても、ハンはその女性像にかすりもしない。
 身体が幼すぎるのだ。大人の女中に混じって同じエプロンをつけていても隠せない子どものまま歳を取らない不老の身体は、ハンが最も引け目を感じている部分だった。
 声を出せずハンが下を向いていると、従者のウィルソンは中指で眼鏡の位置を直しながら、
「だとしたら坊ちゃんは本気という可能性があります。なんてったって今までの遊び相手とは違うタイプですから。結婚をほのめかす話はあったかい、ハン?」
 ウィルソンはハンに向かって勝ち誇ったような薄い笑みを浮かべる。
 ザキルカの私的な晩餐会のときに部屋まで案内してくれたのはウィルソンだったが、そのときの恭しさはハンが自分と同じ使用人に成り下がった途端消えてしまった。頭の切れそうな彼はザキルカの腹心に限りなく近いようなので、もしかしたらザキルカに協力してハンを零落させたひとりかもしれない。彼と接していると、女主人になって克服したと思っていた恐怖がよみがえってくる。彼は心の中でハンのことを「化け物」と呼ぶ人種に違いなかった。
「いいえ」
 震えを周囲に悟られないように、ハンは素っ気なく答えた。
 三男とはいえ、貴族の息子が女中を結婚相手に選ぶわけがない。婚約者がいるならなおのこと。その女中は遊ばれているだけだ。それが身分違いの恋の現実だとハンは知っている。彼女は甘い夢を見るには汚れすぎていた。
「やっぱりね」
 ウィルソンは肩をすくめた。
「ではポルラム博士がらみか?」
「でしょうね。あれだけご執心だったのです、半年やそこらで坊ちゃんが博士を忘れられるとは思えません」
 反射的にハンは顔を上げた。彼らの推理はいい線を行っていた。ここから遠くないところで生存させている、ピーターのようなものの存在に気付かれてはならない。警察に捕まってしまう。だからザキルカの滞在理由を「愛人のハンに会いたいから」にしておくのが一番いいのに。
「ああ、そういえば。いまは無理だけどわたしが大きくなったら結婚してくれるって、ザックさんおっしゃっていましたわ」
 あわててハンは嘘をついた。騙せる自信はあった。ザキルカの使用人たちはハンが十三歳のまま成長しないでいる八年間を実際に見ていない。だからハンが二十一歳で「不老人間はこの世に存在する」、だなんて信じきれていなかった。
「わたし、本当は十三歳なんです」
「ばかな……坊ちゃんに限って……」
 執事と従者は青くなった顔を見合わせた。ふたりはザキルカが“子ども”と恋に落ちるだなんてどうしても信じたくなかった。ザキルカを溺愛するあまり、そんなこと考えたくなかった。
「ウィルソン、坊ちゃまはおかしくなってしまわれたのかもしれん。一度お医者さまをお勧めしてみなさい」
 使用人の興味をピーターから逸らすことには成功したが、ハンは自分の嘘が悲しくなった。

 ハンは柳のかごからニンジンとアスパラガスとハツカダイコンを取り出して並べた。ザキルカ邸ではトマト味のジャガイモといった、いわゆる「『キメラ』野菜」は育てていない。錬金術師でありながら、ザキルカは「キメラ」を食べることを好まなかった。ハンを抱き、脳をすげかえたピーターをピーターだというくせに、「キメラ」を体内に入れるのには抵抗があった。それがザキルカの本性なのだ。「『キメラ』野菜」がザキルカにとって不自然な食べものならば、ハンやピーターは彼にとって不自然な生命であろう。
 ふたりきりで後ろめたい罪を隠しつづけられるとは思えない。ザキルカには貴族の息子としての華やかな人生があるのだから、こんな苦難の道――ハンとピーターという秘密――なんかいつでも捨てられる。ハンはため息をついた。捨てられたらどうしよう。今さら捕まりたくはないし、ピーターを見殺しにもできない。
 包丁で指先を切り、滲み出た血をハンは静かに舐めた。そしてまたニンジンの皮を剥きはじめる――
「舐めるんじゃないよ、この子は! 坊ちゃまが食あたりでも起こしたらどうするんだい」
 いつの間にか真後ろに立っていたコックは太い指でハンの肩をわしづかみ、流し場から引き離して連れていく。
「こんなのたいしたことはないわ。半日で消えてしまうもの」
「そうかい、そうかい。とりあえず傷がふさがるまで出てってもらおうかね」
 重たいスープ鍋をかき回し、パン生地をこねる中年女の腕っ節にハンが無駄な抵抗をしても敵わない。引きずられて勝手口の前に連れてこられた。すると、
「ハンナ」
 外から聞き覚えのある親しげな声が聞こえた。ハンは勝手口のドアを開けるのをためらう。外へ追い出そうとするコックにハンは首を振った。するとコックはそれに苦い顔で首を振り、
「いつまでもお待たせするんじゃないよ!」
 ドアを開けて無理矢理ハンを外に放り出した。コックはシルクハットをかぶった見慣れない青年をザキルカの知り合いだと勘違いしたらしいが、ザキルカの知り合いは勝手口から女中を訪ねたりしない。
 ハンはくちびるを引き結んだ。

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