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 翌日の新聞の一面には「伯爵令息の無様な転落」と大きな見出しで載っていた。ザキルカが所長に就任したり婚約したときの記事より大々的に書かれている気がするのは、上流階級の不幸が蜜の味だから。伯爵家から勘当されたザキルカの事件があまりにショッキングだったので、おかげで「ピーター・ポルラム殺害事件」などだれも気にしなくなったと当のザキルカは喜んでいた。有り余る富と名誉を持ちあわせていたザキルカが失った全ては、ハンの比ではなかったのに。
 一向に目覚める気配がないピーターの前に座りながら、ハンは新聞紙を持つ手を震わせた。カオル総督の顔写真にバツ印が付いた新聞紙は街ゆく人々の足に踏まれていた。それがザキルカの顔写真にも起こるのかと思うと、ハンは胸を締め付けられた。
「俺のためにそんなに悲しんでくれるなんて嬉しいよ、ハンナ。見ろよ、一面も二面も三面も俺の記事だぜ。貴族の三男が普通に生きていて、果たしてこれほど大きく載ることがあろうか。俺は歴史に名を残したのさ」
「笑いぐさとしてね」
 空元気を出すザキルカに頬へキスされるがまま、ハンは深いため息をついた。本人の分まで。
「ザックさんとわたしとふたりっきりでパパをずっと看ていて、そのうち気が狂ってしまわないかしら」
「どうして?」
「パパはずっと眠ったままのような気がするの。生きかえるだなんて、わたしには信じられないのよ」
「ハンナ。俺がそんなに愚かだと思うか? 勝てない博打をやるとでも?」
 まばたきする青い瞳は地に足をつけていた。おろおろした様子を微塵も感じさせないザキルカにはなにか秘策があるのだろうか? あるのだとすれば、ザキルカに囲われて生きるハンにとってそれは僅かな希望の光だ。とても弱く、消え入ってしまいそうな光だけれど。

 『不老不死開発プロジェクト』が廃止される前、ハン・ヘリオス・ポルラムは『エリクシール』――不老不死の霊薬――として保護されねばならなかった。研究者たちは彼女が傷つかないよう取り扱いに神経を擦り減らした。どこまでが躾――人間ではないので「調教」と言うべきかもしれないが、彼女はどう見ても人間にしか見えなかった――でどこからが虐待なのか境界線を引くのは難しく、彼らはつい甘やかした。
――人間が生みだした未熟な『キメラ』一体が人間ひとりの命よりも重いだなんて、人間はどこを目指しているのだろう――
 ハンを生みだして人類が得るのは「未来」ではなく「破滅」への道のりだ。ピーターはハンを作製したことを後悔したが遅かった。ハンは合法のもと生まれてきた罪深い命であり、法で裁くことのできない悪の芽だった。
 しかし『不老不死開発プロジェクト』はついに廃止された。ザキルカがハンの鎧をはぎ取ったのだ。彼女はいまや丸裸のモンスターに過ぎなかった。煮て食おうと焼いて食おうと自由である。ザキルカはかつて神聖だったがいまや落ちぶれてしまったハン・ヘリオス・ポルラムを飼っていた。ひと昔前に流行った金魚鉢のように、だれも気にしないものを。
 ザキルカが腕を回してハンをきつく抱きしめれば、肋骨が微かにきしんだ。ハンの真新しい肋骨は柔らかく、産毛が生えているに違いなかった。生まれたてのひよこと同じだ。また、プリムラ・アウリキュラのように可愛らしい耳に毒のある言葉を吹きかければ、ハンの表情は明らかに損なわれた。ザキルカの心次第でハンは簡単に壊れてしまうだろう。でも壊さない。価値のなくなったものを壊すのはいつでもいい。せっかく手に入れた愛玩動物だ。道連れにどこまでも引きずっていこう。
 冬の満月みたいなレモン色の瞳はろうそくの灯りに照らされて、ピーターを思わせる黄金色にきらめいた。ザキルカは思った。――俺には荷が重すぎる。
 ザキルカは年齢的に未熟な生身の人間だ。卓越した錬金術師は血も涙もなくなるというが、そうならば自分はなれそうにない。地位と身分を失っただけでひどくうろたえているのだ。ましてや断頭台を目の前にどうして平然としていられよう。だれひとり味方のいないまま死んでいくのだけは、なんとしてでも避けたかった。だからザキルカは手段を選ばない。

「プライドは捨てたが、勝てる自信はある。そういう仕組みを具体的にこの地下室に作った」
 ハンに心ゆくまでピーターを見つめさせてから、ザキルカは四方の岩壁を見渡した。遠く歌うように声を響かせて、
「下のものは上のもののごとく」
 ハンの手をひきながら、ザキルカはピーターのベッドを中心にして反時計回りにゆっくり歩む。
「上のものは下のもののごとし」
 ぐるぐると歩かされて方向感覚を失っていくうち、ハンは足下のろうそくが気になってきた。溶け崩れたろうは炎に照らされ黒く艶やかに光っていた。そのうち、ろうそくがピーターの周りを綺麗な円状に囲んでいることに気が付いた。ピーターに近い内円には真っ白な新しいろうそくが生えており、円の外にいくほどろうそくは短くなった。ピーターからもっとも遠いところはみな溶け崩れている。火は消えていて、あたりは夜の墓場のように冷え冷えとしていた。そこでハンに疑問が生じた。千本以上あるだろうろうそくの配置をザキルカがたったひとりで入れ替えるには無理がある、と。そのとき、
「坊っちゃん、そのいとはんはどちらさんどすやろ?」
 どこからともなく第三者の声がして、ハンは肩を震わせた。女の声だった。四方の暗闇を注意深く見まわすと、オレンジ色の灯りがひとつぼんやり浮かんでいる。灯りを持った外国人らしき女――強い訛りでそう思った――の足音はこちらへ近づいていた。彼女が一歩踏みしめるたびに、湿った小石や虫の殻みたいなものがじゃりじゃり潰れる音がした。
「彼女がハン・ヘリオス・ポルラムだ。ピーター・ポルラムのからくりを紹介しようと思ってね」
「へえ、かしこまりました」
 ザキルカと女のやりとりから、彼女は彼の使用人だと思われた。そして女の白い顔が暗がりにぼんやり浮かび上がると、ハンは違和感に眉をひそめた。彼女の髪が人生に絶望したひとのように短かったからだ。それは手入れの行き届いた芝生と同じくらいさっぱりしていた。さらには動きやすいツイードの胴衣とズボン、といった格好である。しかし落ちついたアルトの声とボタン三つ外れたシャツの胸もとから漂う色香で、彼女の性別は決して誤魔化されなかった。
「おいでやす。暗いどすから、足もとにお気をつけて」
 男装の女はきびすを返し、出てきた闇へ戻りはじめた。優しい声だったが、色素の薄い瞳は一瞬冷たく細められたようだった。ザキルカにくっついてハンは彼女のあとに続いた。
 ろうそくの群れから離れると、手もとの灯り以外はなにも見えなくなった。底冷えする不気味な暗闇のなかを拙い足で歩いている。けれど途中で立ち止まったとき、土砂崩れのような重たい振動を肌に感じて「扉が開いたのだ」とハンは思った。おそらくピーターの部屋よりさらに奥に入ったのだ。地下牢のような雰囲気がどんより続いており、ハンはずっと落ち着かなかった。ここは室内というより洞窟に近い。自分が生き埋めになったところを思わず想像してしまうのだ。
 男装の女は夜目に慣れており、足取りは自分の部屋を歩くのと変わりないようだった。――ここに住んでいるのかもしれない。裏切られた気持ちになって、ハンはザキルカに低い声で問うた。
「秘密を知っていたのは、わたしたちふたりだけではなかったの?」
「俺とハンナさんを入れて六人」
「ろくにん?」
「心配はいらない。地上へ出入りできるのは俺たちと彼女だけだ。あとの三人は永遠に地下から出さない」
 五本の指を越えてしまう人数にハンは戸惑ったが、抜け目ないザキルカに首肯するしかなかった。そういえばカーグに水銀をたっぷり吸わせ、替え玉の顔を潰したのと同一人物であった――ハンの表情は晴れない。
「ザックさん、監禁罪で捕まるわよ」
「その三人は奴隷だから法に触れない」
「悪いひと」
「捕まりたいのか?」
 茶化す口調にハンは首を振った。ザキルカの目は笑っていなかった。奴隷を買うようなひとではないのに。ザキルカはハンを屋敷に囲い、三人の奴隷と丸刈りの女を地下に閉じ込めているのだ。崖っぷちに立たされたザキルカの覚悟を感じずにはいられない。
 男装の女は静かに歩みを止めて、右斜め前方を照らしだした。ぼろを着た男たちが毛布のような敷物に座っている。ハンは声に出さず人数をかぞえた。ぴったり三人。年齢は不詳。痩せているが引き締まった、奴隷と呼ぶにふさわしい体つきをしていた。
 三人の奴隷は声にならない声を発し、毛むくじゃらの顔から白い歯をむき出してザキルカに脱帽する。地下に閉じ込められた彼らの生活は思ったより酷くない。そこには鞭の気配など感じられなかった。鞭があるならその微笑はもっとぎこちないだろう。とりあえずハンは胸をなで下ろす。
 しかし、奴隷たちはなにを言っているのか分からなかった。男装の女は添えるように言う。
「彼らは口が聞けませんのや。だからあっしが手話を使うのどす」
 ほっとしたのも束の間だった。ハンは表情をこわばらせる。
「秘密をもらさないために?」
「どうして?」
 不敵な笑みを浮かべて小首を傾げたザキルカをハンは睨んでいる。
「やりすぎよ」
「彼らは君のオリアーヌみたいに口が固くないからな」
 オリアーヌ。一拍、ハンはまばたきと息をするのを忘れた。
「ザックさん、あなた知っているの?」
「なにを?」
「とぼけないで。ユリエちゃんのことよ!」
 声を荒立てて、ハンはザキルカの白衣の襟をひっつかみ揺すった。そんなことをしても無駄だと分かっていながら。彼はすでに知っている。
「ユリエ・ポルラムは自室で殺害された。そして窓から出された。証言した“彼ら”は『旦那さまが殺した』と言っていたが、俺には死体撤去の場になぜか居合わせた君がひっかかる」
 ザキルカは人差し指でわざとらしくこめかみをおさえた。
 低い声で唸ってハンは唇を噛みしめた。探偵ごっこではザキルカのほうが一枚上手だった。
「……そうよ。わたしが殺したの」
 でも正当防衛よ。パパを殺した計画に比べたらぬるい罪。
 ふたりはしばらく見つめあった。言葉以上に大事なものに耳を澄ませて。やがて沈黙に耐えきれなくなったザキルカは相好を崩して、
「君のところは下男を野放しにしたのが間違いだった。無名の人間ほど固く手綱を握るべきさ」
 ハンは口角を上げてみるが上手くいかなかった。徹底したザキルカの保身はハンをよりいっそう不安にさせた。
「ミギワ、例のものを照らしてくれ」
 男装の女は軽くうなづくと、カンテラを持つ右手を大きく伸ばして左に回し向けた。そして身体の角度を調整しながら二、三歩うろつき、意を決して斜め上の闇を照らしだした。
 カンテラで照らし出せる範囲は狭いので、金属でできた大型のものの全体が見えなかった。しかしハンにはその正体が身をもって感じられた。体内がかっと熱くなり、全身は総毛立った。胃がむかむかしてくる。胸の悪い既視感しかなかった。
 ハンが立ちすくんでいるうちにザキルカとミギワが周辺に設置されたランプを灯して回り、次第にその姿は明らかになっていく。「やっぱり」とハンはひとりごちた。それは金属で出来た、馬車が五台はすっぽり入りそうな錬金炉だった。
 錬金炉。それはハンが誤って中に入り、危うく死にかけた恐ろしい装置である。そしてハンを不老人間として世に生み出した、絶対神のごとき装置でもあった。どうしてこんなものが、とハンは言いかけたが、錬金術師が自分の炉を所有しているのは珍しいことではない。ポルラム邸にだってあるのだ、ザキルカ邸にあっても不思議はなかった。
 いまにも吸い込まれそうで一定の距離を越えて近づけないハンの代わりに、ザキルカは錬金炉に歩み寄って見上げた。
「俺は錬金術師だ。ピーター師匠の生命を維持させるにはこの方法しかなかった」

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