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「ハンナが生まれる少し前の昔話よ。
 ペガーズの品評会って知ってる? いいえ、ハンナ、犬の品評会とはちょっと違うわ。『キメラ』の品評会ってのは、錬金術師が生み出した荒削りの種を改良していくのが主な目的で、錬金術の進歩と可能性を世に示すとともに国家が雇う――研究所に所属している――錬金術師たちの研究資金を集める目的もあるんだわさ。
 ある年の品評会に行った私は優秀作品に釘付けになった。オパールのように繊細な羽根の色合いに感動したんだわさ。微妙な調整には高度な錬金術が必要なのよ。聞けば作者はペガーズ職人を目指す、まだ十五歳の学生だという。錬金術の習得には二十年、三十年とかかるものなのによ? こりゃあ天才に違いない。それがあんたたちのピーター・ポルラムだったんだわ」
 エマは若くしてすでに頭角を現していたピーター少年との出会いから語りはじめた。彼女は足を組んで、ワイン色のキュロットスカートに覆われた膝の山をじっと見つめていた。
「ちょうど『不老不死開発プロジェクト』の話が持ち上がって、錬金術師を探しているときだったの。そんなときに何の助けかしら……私はピーターに出会っちゃったわけ。彼ならきっと行き詰まる不老不死開発に変革を起こしてくれる。そう、私は確信したのよ」
 こちらと目を合わせないで無理に明るく話すエマの顔に後ろめたさを感じとり、「悔いているのだ」とハンは気付いた。
 ハンは「先生を責めるつもりはないのよ」と口に出そうとしたが、エマの覚悟を決めた表情を見ると言いだせずに飲み込んだ。
「それで?」
 カーグの声に促されて、エマは飲んでいたコップを置いた。透明な液体の入ったそれは漆で塗られた愛用のコップホルダーに刺さっていた。
「ブリンガルのモンタウレス大学って知ってる?」
 自分を鼓舞するようにエマは笑ってふたりの顔を見る。
「もんたうれす大学?」
 素っ頓狂な声を出してハンが隣を向くと、カーグは首を振った。
「知らないの? 偉い政治家や学者を輩出している超難関大学だわよ。まあ私は現役錬金術師なので余裕で入れたんだけど、ピーターはそこの奨学生でしかも飛び級なんだから大したもんだわ。彼を欲しがる組織はたくさんあったけど、教師として近づいたのは私だけだったのよね……それが決め手かしら」
――パパの先生だったのね。ハンはピーターの日記帳に書いてあったことを思い出して、
「先生はそのころ白髪だったの?」
 意気込んで話し始めたものが早速中断されるとエマはまたコップホルダーを傾けた。隣のカーグが「ハンナ」と肘で小突く。ハンは赤くなった。日記帳の真偽を確かめたかったのだが、どうでもいい話である。
 真面目くさっていたエマは噴き出した。
「そりゃもちろん七十歳だもの、白髪いっぱいよー。まあ、整形してるからいまと変わらない感じだわ。綺麗なお姉さん」
 エマは「緊張がほぐれた」と言ってハンを宥めた。エマの昔話が興味深いので、ハンもまた緊張がほぐれてわくわくしているのだった。絶望するどころか心惹かれる話である。
「で、どこまで話したんだっけ?」
「大学教師として叔父に近づいた」
 カーグが言うと、閂のかけられた厚い壁を見て自分を追い込んだことを思い出したエマはふたたび二十数年前を思い浮かべた。
「そうね……そうそう。私はピーターに近づき友達になることに成功したんだわさ。ピーターは容姿に自信がなくていつも独りだったから、仲良くなるのは容易かった。あら、もっと詳しく? あの子がいじめられてるのを私が助けてやったの。無口で陰気で図体ばかり大きいし、お坊ちゃん学校で継ぎ当ての服着てるのは彼ぐらいなもんだから、よくいじめられていたわ。天才肌っていうのかしらね、ペガーズの話ばかりして空をぼーっと見ているのが好きな子だったわ」
 目を閉じれば、若かりしピーターの姿がありありと浮かんでくる。エマの語りが上手なのだ。昔を懐かしみ始めて喋りが滑らかになってきた老婆を見て、ハンは嬉しくなった。もっとエマの話が聞きたくて、身を乗り出す。
 するとエマはにいっと口角を上げ、
「で、私はピーターを早々に退学させてレッガス研究所に所属させるわけだけど、その前にあの子とイラージェの出会いを語っておかなくちゃね」
 とハンを見ながら独り言のように気軽に言った。
「イラージェ」
 因縁深い名前に動揺してハンはカーグを見た。
「避けて通れない」
 ピーターの声質に似たカーグのバリトンはハンの決意を呼び覚ました。ハンは白黒写真のイラージェを思い描いた。行きずりの娼婦。ピーターの犠牲者。そしてハンを産んだ女性。

「ピーターの実家は彼の父親『ツカサ・アルジャン』のせいで貧しくて、仕送りする必要があったんだわ。だから新聞配達していたの。まだ夜明け前に寮を出るのよ。いっつも眠たそうで、私の講義そっちのけでよく寝てたわ。その寝顔の可愛いこと。
 でね、ピーターの新聞配達のルートがね、近道しようとして売春宿と飲み屋が立ち並ぶいかがわしい裏通りを通るんだわ。浮浪者がごみを漁り、朝帰りの酔っ払いが酒の臭いをぷんぷんさせていたらしいわ。そこに三階建ての古いアパートメントがあってね――配達の終わりに通るんだけど、そこの玄関を娼婦が毎朝履き掃除してるのよ。それがイラージェとの出会い。黒い髪を縄みたいに一本に編んで、前掛けをつけているから女中かと思ったのね。それに同じ年頃の少女だったから、話しかけやすかったんじゃないかしら。彼が『おはよう。これから学校に行くんだ』と言うと、彼女は『これから寝るのよ。おやすみ』と答える。そんなちぐはぐな挨拶を交わすうちにあの子はそれが楽しみになって……やがて好きになっていったんだわ」
 ハンとカーグは顔を見合わせた。イラージェは「行きずりの娼婦」なんかではなく、ピーターにとって特別な娼婦だったのだ! しかし、それはのちにピーター本人によって隠された事実である。だからハンは素直に喜べなかった。追い打ちをかけるように曇りはじめたエマの表情を見てハンは不安になり、カーグの袖をつかんだ。
 カーグとハンの目を順々に見てから、エマはハンの気持ちが落ち着くのを待たずに話し始めた。
「イラージェに恋をしたピーターが真っ先に相談したのが私だったの。相手は娼婦よ、真の友人なら止めるんでしょうけど、私は彼を止めなかった。むしろ応援したんだわ。私にとってピーターは友人じゃない、“利用する道具”だったからよ。ついでに娼婦のイラージェも利用できるんじゃないかと考えたわけ」
 そこでいったん沈黙し、エマはハンとカーグが何か言うのを待っていたが、何もなく、また話し始めた。
「娼婦が若い男、しかも貧乏学生なんて相手にするわけがない。大抵の娼婦には借金があるからよ。イラージェもその例にもれず、身代金の借金があったんだわ。だからピーターを相手にするはずがなかったのよね。夜の娼館で門前払いされるのがおちだったわ。だって彼自身お金がないんだから。――私はそこにつけこんだのよ。
 ピーターは錬金術を習得しているけど、それはあくまでペガーズのためだった。あの子は『研究所に所属するのは気が進まない』と言ったわ。そこで強硬手段に出たのよ。私はピーターと取引をした。
『私がイラージェを身請けして彼女の実家の借金もきれいにしてあげる。あんたの借金という形でね』
『研究所に所属すればいいんだわさ。そうすれば彼女は自由になれるし、あんたの家だって楽になるわよー。私があんたを高給取りにしてあげる』
 こうして世間を知らない十五歳のピーターは寄宿学校を退学し、借金を返済するため錬金術師になったんだわ。
 卑しい稼業から救い出されたイラージェは当然ピーターのものになった。ふたりは結婚を誓い合う恋人同士になったわ。でもね、ピーターはイラージェにぞっこんだったけど、イラージェの胸の内は分からないのよ。だって彼女は元娼婦、男をその気にさせるのが上手いんだから。
 ふたりの気持ちがどうであれ、私は二年間『不老不死開発プロジェクト』の話を切り出さず、ピーターの錬金術を磨き上げた。ふたりはその間に結婚して小さな家に住んでいたわね。あの頃がピーターにとって一番幸せな時期だったんでしょうね」
 水をひとくち含んで、エマはゆっくりまばたきした。
「そして本格的に『不老不死開発プロジェクト』が動き出したとき、私たちはピーターからイラージェを奪い、軟禁したのよ。
 あんたを作るためにね――ハンナ」

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