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「ザックさん、どういうことなの?」
「もしかして自分好みに教育しなおすためですか?」
 ハンとカーグはふたり同時に喋って、生みの親の説明を早急に求めた。ところがザキルカ自身なにがなんだか分からないのだ。あらためてピーターを見れば間抜けのような顔をしており、彼は戦慄した。なにが悪かったのかと復元工程をたぐるが、記憶の細い糸は絡まって途中で切れたりなんかしてうまく思い出せない。ヘドロのようにどろりとしたものが身体にべったりとへばりついているような感覚に、彼は気持ち悪さを覚えた。
「俺は阿片中毒だけを消したんだ。それなのに三十年もごっそり無くなってしまうなんてどういうことだ」
「おじさん……」
 ピーターは子どもの純粋な瞳でザキルカを見上げていた。ザキルカはいまいましそうにピーターの視線を振り払った。
「離せ、この化け物」
 哀れなピーターの手を振り払ってザキルカはさらに絶望する。
「ぼくが……ぼくがなにをしたっていうの?」
 慣れない低い声でおぼつかなくしゃべるピーターにぞっとして、ザキルカは一歩あとずさった。その皮膚の下にはうじ虫がうごめいているに違いない。ザキルカはくちもとを手で押さえた。彼はピーターの存在を生理的に受け付けられなくなっていた。
 おびえる子どものようなものを黙って見ていられないハンは震えるピーターの肩を抱いた。
「ザックさん、彼は仮の姿だと言ったじゃない」
「知るわけないだろ」
「ザキルカさん、落ちついてください。一時的な記憶喪失かもしれませんよ」
 ピーターを生み出した責任を問うふたりの視線もまたザキルカにとってつらいものだった。
「俺は……消してしまったんだ。自らの手で偉大なピーター・ポルラムを潰してしまったんだ! ……戻りませんよ。それは神の意図しない生命なんですから」
「あきらめないでよ、ザックさん。これから錬金術を教えていけば将来は……」
 喋るピーターに情をうつして彼の頭を撫でているハンをザキルカは冷めた目で見ている。なんとかハンの目を覚まさなければと彼は思った。こんなものが目的だったはずはない。
「それは“化け物”なんですよ!」
 ザキルカはピーターに酷な言葉をふたたび吐いた。すると、ハンとカーグは不安の色を顔に浮かべた。ベッドから身を起こして骨と皮だけになった身体をわなわな震わせているそのかよわい生物が、ふたりにはどうしても化け物だと思えなかった。ザキルカが化け物だと罵るほど、ふたりには血の通った人間に思えてくるのだった。
「おかあさん、おかあさん。このひとたちだれなの? ここはどこなの? もしかしてオオカミのあなぐらなの?」
 『キメラ』はハンにしがみついてピーターの声で必死に叫んだ。
「あなたは三十九歳なのよ……パパ」
「うそだ。へんな夢」
 夢にしては醒めてくれない。涙ぐむ七歳のピーターは、痩せて寝たきりの身体を持ち上げてやっとのことで布団から這い出した。火のついたろうそくで裸足が火傷するのも岩壁で剥き出しの皮膚がすりむけるのも構わず、よろけながら彼は一目散に逃げ出したのだった。彼の大柄な体躯ではかがまないと通れないほど狭いところをすり抜けて、広がる闇に飛び出していく。ハンは追いかけていった。

 つい最近まで奴隷が暮らしていたとはいえ、昔地下牢として使われていたその道は脱走を防ぐためだろうか、真っ暗で荒削りの迷路のようだった。行き止まってはまた引き返してを繰り返すうちに、ハンは来た道を見失ってしまう。彼女はピーターが心配でたまらなく、こうしているうちになにかあったら……と恐れた。彼はまだ七歳なのだ。自力で地上へ脱出できるとは思えない。出られても野垂れ死にするのがおちである。それを思うとハンの足はくたびれることを知らなかった。
 同じ道をぐるぐる歩き続けていると大人げなくでろでろ泣いている声が濡れた岩壁に響いている。その声に導かれるようにして、ようやくハンは道を開くことができた。彼女は手燭の光で前方を照らし出した。つきあたりに大きな水たまりがあって、地上から薄日が差し込んでいるのか水面が淡く輝いている。それを鏡代わりに覗きこんでピーターは愕然とへたりこんでいた。すぐさまハンは駆け寄った。
「あなたは化けものじゃないわ」
 振り向いた裸の男の顔は青ざめていた。おそるおそる立ち上がるとハンの身長が自分の肩にも満たないことに気付いてしまい、彼は二メートルの体躯に似合わずしゃくりあげる。
「おかあさん……ぼくは……ばけものだよ」
 そして自分の低い声を耳にして、涙はとめどなく溢れてくるのだ。ハンも涙が止まらなかった。彼女は彼を自分の境遇と重ねあわせていた。
「化けものなんかじゃない!」
 ハンはピーターの胸にしがみついて一緒になってむせび泣いた。ふたりは涙で相手をぐしょぐしょに濡らしあい、そのまま崩れてしゃがみ込んだ。その涙は美しく、彼らはだれよりも人間であった。
 固い足音が追いつくと、ピーターは身を震わせた。
「離してください、カーグさん。その化け物を始末させてください」
「七歳でいいじゃないか! あなたは成功させたんですよ、ザキルカさん」
 拳銃を向けようとするザキルカをカーグが止めようとしてつかみあいになっている。
 ハンは自分より大きなピーターを抱えるようにかばいながら、
「ふたりともそんな現実的な話はやめて! パパがおびえているじゃない」
 と叫ぶ。ついに、正面からカーグを振り払ったザキルカが歩いてくる。ブーツの踵についた拍車が歩くたびちゃりん、ちゃりんと無機質な音を鳴らした。ハンは瞳をわななかせた。
「それはピーター・ポルラムの皮をかぶった化け物だ、ハンナ」
 威圧する藍色の瞳にぶんぶんと首を振りハンは否定する。ピーターという存在を守るため。
「やめて、ザックさん。わたしたち、命をかけてきたでしょう」
「無駄なことをした」
 ザキルカはハンとピーターに銃口を向けた。
「そこをどいてください。貴女ごと撃ちますよ」
「うてばよいわ」
 彼女は目をつむって、粛然とピーターにしがみついた。しかし七歳のピーターは死が漂うその雰囲気に耐えられず、取り乱す。
「ぼくが化け物だというなら殺してちょうだい!」
 ピーターは泣き叫ぶ。
「だってぼくはどうやって生きていけばいいんだろう?」
「殺してやるほうが幸せだろう!」
 興奮してザキルカが引き金に指をかけると、恐怖が絶頂に達したピーターは気絶してしまった。ハンは倒れた衝撃で寝たきりだったピーターの脚が折れていないか撫でて確かめた。
 彼は奇跡がもたらした、微妙で危うい生命なのだから。

 次にピーターが目覚めたのはベッドのなかだった。シルクのパジャマを着た彼の身体にはふかふかの羽根布団がかけられていた。彼を見守りベッドに寄り添っていたハンの背後には上質な濃い緑色のカーテンがかかっていた。ピーターは透き通る目を見張った。そこは陰気でじめじめした岩壁が囲む黒魔術の部屋なんかではなかった。
「まあ、起きたのね。パパ」
「おかあさん」
「もう目覚めないかとおもった!」
 目に溜めた涙をぬぐってハンは顔を明るくした。ピーターは目を細めて微笑んでいる。それはハンが渇望したピーターの優しい笑顔であった。初めてハンに向けられたのである。枕に垂れる金の糸束を慈しむように撫でながら、
「パパ。元気になったら、わたしとカーグと三人でひっそり暮らしましょう」
「ぼくは『パパ』じゃないよ」
 手を止めてハンはピーターの顔を見る。ふたたび目覚めてもピーターは七歳のままだった。目にかかる彼の前髪を指でそっとかき分けてから、ハンは決意した。
「わたしはエリザベスではなくハンナだけど、あなたのお母さんになるわ」
「おかあさん! もう、いなくならないでね」
 小さな母親の頬に武骨な手のひらで触れて、ピーターは瞳を潤ませた。彼の本当の母親は彼が幼いときに他界してしまった。
「いなくならないわよ。ずっとあなたのそばにいるわ、ピーター」
 新しい息子の白いおでこにハンはそっと唇を落とした。枕の上でピーターはまばたきをする。
「おかあさん、一緒に寝て。――起きたらいなくなっちゃうかもしれないから。手をつないでいて」
「よいわよ、坊や」
 いまだに夢のようなピーターの痩せぎすの身体を壊さないよう気をつけながら、しかし手放すまいとハンは指をしっかり組み合わせて彼と眠りについた。彼女は夢のなかでピーターと一緒にポルラム庭園を散策していた。ポマトをもいで食べたり、ブルーベルの森でかくれんぼしたり、水玉模様のキノコがくるくる踊っているのを見つけてはしゃいだりした。日が暮れるまで遊び疲れてうとうとするハンを背中におぶって、ピーターは下手な子守唄を歌ってくれた。ハンは幸せだった。
 その後、ピーターのような『キメラ』が目覚めることはなかった。
 ピーター・ポルラムは二度死んだのだ。ハンは冷たくなった胸に顔を埋めた。
「ありがとう。ごめんなさい……パパ」
 結局「ハン」とは呼んでくれなかったけど、どんな形であれパパはわたしを求めてくれた。
 ハンはピーターの魂の純粋な部分から生まれたのだ。
「入りますよ」

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